こんばんは。
女子部コーチの岡です。
インカレ1~2日目が終わりました。
私は仕事で見に行けなかったのですが、女子舵手付きフォア「こゝろ」は初日の反省からレースプランを見直し、2日目、より良いレースを楽しめたようです。
最終日はさらに攻めると聞いたので、どんなレースを見せてくれるのか、とても楽しみにしています。
さて解体新書シリーズ、今回は佐藤いつほ監督の登場です。
ここ5年間女子部監督として、誰よりも真剣に、熱意と優しさをもってチームを見守ってきてくださいました。
実は私の1つ上の先輩にあたり、現役時代から言い尽くせないほどお世話になりました。
私が1年生、いつほさんが2年生の冬場にダブルを組んだのですが、自分が一番純粋にボートを楽しんでいたのはそのときだったかもしれない、と今になって思います。
(性格はまったく似ていない、まさに正反対の組み合わせでしたが、どういうわけか漕ぎはぴったり、男子スカルを抜きながら荒川を爆漕したのが良い思い出です。)
一昨年、女子部コーチをやってくれないかと声を掛けていただいたとき、他ならぬいつほさんの頼みだからこそ応えたい、とまず最初に思いました。
女子の指導陣がここまで集まったのは、いつほさんの人望があってのものです。
5年分の想い溢れるインタビュー、是非お楽しみください。
~2022年8月31日・電話にて~
岡 :よろしくお願いします。
佐藤:よろしくお願いします。
岡 :お名前と入学年度をお願いします。
佐藤:佐藤いつほです。入学年度は平成22年(2010年)です。
岡 :好きな食べ物と嫌いな食べ物をお願いします。
佐藤:好きな食べ物は、焼きたてのパンと海鮮丼です。嫌いな食べ物は、すいかとメロンです。
岡 :すいかって……色んな場面で出されますよね。
佐藤:そうなんですよ。ご褒美的な顔をして。
岡 :善人の顔をして。
佐藤:食べられなくはないんですよ。なので、出されたらなんとなく嬉しそうな顔をして食べなきゃいけないという……大人になったら克服できるかと思ってたけど、できませんでした。
岡 :焼きたてのパンはいいですね。焼きたてのパンのにおいは幸せのにおいであると、何かに書いてありました。
佐藤:仕事始めてから、趣味でパン教室に通って、自分でパンを焼いてみたんですよ。そしたら、こんなにおいしい食べ物は今までなかったなと……香りも、味も。
岡 :こねるところからやりますか?
佐藤:はい。そこからやります。
岡 :是非一回食べてみたいです。
岡 :近況を教えて下さい。
佐藤:大学を卒業後、学校に教員として勤めました。中高一貫校で、持ちあがり式で中学1年生から高校3年生まで一つの学年を育てて、送り出しました。
就職したのでボート部のトレーナーやコーチはできなかったんだけど、その代わりになるくらいの貢献はしたいと思っていて。なので、試合を見に行ったりとか、女子に差し入れしたりとか、そういうのをほそぼそとやってました。そしたらある年に、主務の玉越さんが「コーチとかじゃなくても、OBやOGもどんどん懇親会に出て下さい」って呼びかけてるのを見て。じゃあ行くかってことで出てみたら、「一言挨拶を」と言われ、挨拶をしたら、それを受け入れてもらえたらしく。それで当時の監督の菊池さんに、「女子部監督を」と頼まれました。ちょうど女子選手がいなくなってしまうタイミングで、もう一度女子部を立て直すためにということで依頼されました。
岡 :始まりは菊池さんだったんですね。
佐藤:そうです。それまでも女子部監督という役職はあったけど、コーチングの面が強かった。こういう形での女子部監督という役割を菊池さんが思いつかなければ、今の女子部はなかったかもしれません。
岡 :依頼を受けようと思った理由はなんですか。
佐藤:そのときはもう、女子選手が絶える、女子部がなくなる、という状況だったので、「まず女子部をなんとしても守らなければならない」と思いました。それがどうしてかっていうと、色々あるんだけど……はっきりした出来事としては、自分が2年生のときに、部の運営のため、選手からマネージャーを出さないといけない、ってなって。そのとき一度は、私が選手をやめてマネージャーになることになったんですよ。自分は選手として弱かったし、「まあそうか」と思って一度受け入れた。でもそのときに女子の先輩たちが、選手としての能力うんぬんよりも、「女子部を守るために、女子選手は残さないといけない」ということをはっきり言ってくれて。
岡 :そうだったんですね。
佐藤:でもそれって、ともすれば女子優位と言うか、「じゃあ女子は結果を出さなくても選手でいられるのか?」と非難されかねないことでもある。でも、女子の先輩たちは明確にそういう姿勢ではたらきかけていたし、当時の男子の先輩たちも同じような見方をしてくれていて。その先輩たちは「選手を弱いからという理由で排除するチームは強くはなれない」とも言っていましたね。それに比べたら、私は自分のことしか考えていなかったなと。自分が受け入れれば済むことだと考えて、その行動ひとつで、もしかしたら女子部が絶えてしまったかもしれない、と思ったら恥ずかしくなって。今回は先輩たちが動いてくれたから守れたけど、今後は「自分が守らないといけない」と感じて、ずっとそういう思いが根本にあります。そのときその場にいる人が、意識して努力して維持しないといけない、ということですね。
ただそのとき、私の代わりにマネージャーになった男子選手がいるから、彼らの思いは本当に、忘れてはいけないと思います。
岡 :私は現役の頃、「女子部を守る」なんてひとかけらも考えていませんでした。
佐藤:うん、でも難しいところだよね。
岡 :女子部という枠を残すことに、そこまで必要性を感じてなくて。もちろん続いてくれるなら続いてくれた方が嬉しいんですけど、ただ存続させることに意味はないというか。それくらいだったら女子部なんかいらない、とすら思っていました。いつほさんの思いを私はくめていなかったなと、今になって思います。
佐藤:そういう雰囲気が、たぶん途中から多数派になったんだろうね。なんでかは…わからないけど。もちろん、ただ女子部を残すためだけに、漕ぎたくない人を無理やり漕がせるのはナンセンスだと思う。
岡 :バランスのとり方が難しいところですね。
佐藤:だから私としては、「漕ぎたい」という女子がいたときに、無理なく漕げる環境を整えておく、ということを主眼にやりたいと思って。小さいチームでもいいから、ほそぼそと続けていける場所をもう一度作りたい、という気分で始めました。
岡 :現役時代はどんな選手でしたか。
佐藤:体力的にも運動経験的にも、選手としては不足している方でした。なので、そういう面で部を引っ張る存在にはなれないとは思っていて。でも、クルーボートで先輩たちと一緒に乗る中で、ボートは一人一人の力ももちろん重要だけど、それ以上のポテンシャルを発揮できるスポーツだと思ったので。クルーが前向きに進んでいけるような雰囲気を作ることで、チームに貢献しようと思ってました。
岡 :現役時代で嬉しかった思い出を教えてください。
佐藤:それはいっぱいあるよね。嬉しかったことっていうと、たぶん小さな思い出がたくさんあって……
まずは1年生の遠漕、嵐の中漕ぎ切って、トレーナーに褒められ、自分でもできるんだって思えた時。ちなみにその日が誕生日だったので、みんなに祝ってもらいました。あとは1年生の秋にはじめて対外レースで、シングルスカルで、一人で相模湖レガッタに出たんですよ。その時に、同期も先輩たちも、わざわざ相模湖まで応援に駆けつけてくれたこと。あとは、2年生のときにはじめて後輩とダブルを組んで、小さなレースだけど、金メダルをもらったこと。
あ、岡さんがエルゴをめっちゃ更新したときに、なんかすごく覚えてるんだけど、思わず、岡のほっぺを両手ですりすりしてしまった記憶が。
岡 :なんですと?
佐藤:私の方がびっくりしてました。あれ、私なんでこんなことやってるんだろう……って途中で思いつつも、喜びをそのように表しました。
あとはしばらく休部してた後輩が復帰したレースで、彼女が漕ぎ切ったときに、私もめちゃくちゃ嬉しくて。で、その子が「いつほさんに喜んでもらえたことがよかった」って言ってくれたことも嬉しかった。
あとは一番最後のレース。先輩たちと一緒に漕いで出したタイムよりもいいタイムを、最後のインカレで出せたこと。それは先輩たちへの恩返しになったなと思いました。
岡 :その最後のインカレの話は、引退するときにいつほさんが書いてくださったお手紙に書いてありました。
佐藤:ほんと?
岡 :引退した後に自分を支えてくれるものはやっぱり結果だよね、という話を書いてくださってました。
佐藤:それは当時の率直な思いだけど、呪いにもなるね…。
岡 :お話を聞いていると、自分のことっていうよりは人のエピソードが多いなと思いました。いつほさんの人柄が表れてますね。
佐藤:どうもありがとうございます。まあでも基本的に、小さい頃から「自分は恵まれてる」っていう気持ちが強いので、自分のことで喜ぶというよりは、人のことで喜ぶ心理の方が強く働く特徴があります。
岡 :「自分が恵まれてる」と思うのはどんなときですか。
佐藤:まずちゃんと親がいて、小さい頃から可愛い可愛いと言ってもらえて。本とか勉強道具もたくさん与えてもらえて、だから小学校の頃から成績もよくて。それから習い事もたくさんさせてもらって、たまたまそこで結果も出せて、だからすごいって言ってもらって、周りにも信頼されて、やっぱりそういうのって恵まれてるよな、と。自分の力ではない。その一方で、本とかテレビを見ると、「世界には恵まれてない子がたくさんいます」と教えられて。それに比べると、自分はこれ以上何もいらないんじゃないかなって、かなり小さい頃から思ってましたね。小学生のときには確実に思ってました。
岡 :お仕事として教員を選んだことにもつながっているのでしょうか。
佐藤:そうね、学校が嫌いだった人が教員になって、学校が嫌いな子の支えになってあげるっていうパターンもよくあるんだけど。学校が嫌いな人ばかりいる学校、ってなんだよって思うので。自分は学校が好きで、楽しめた方の部類だったから、そういう「学校が好きだった人」が教えられる楽しさもあるんじゃないかなって思っていました。
あとは、恵まれてる子たちの中にも、恵まれているからこそ精神的に不安定になってしまう人もたくさんいて。それもまた病的だよなと……多くの人が、「世界の恵まれない子」に目を向けてるのであれば、自分は「恵まれてるけど苦しんでる子」を見る仕事をしてみたいなって、思ったのもあります。子どもたちの心のバランスを見守りたいと思ったのかな。
岡 :もし私が教員になるとしたら、私は確実に学校が嫌いな部類だったので、学校が嫌いな子のための先生であろうとした気がします。そういう意味でもいつほさんと私は真逆でおもしろいです。
岡 :監督としての自分の役割を教えて下さい。
佐藤:まず監督としてのミッションは「女子部を存続させること」でした。女子の選手が継続的に漕ぎ続けられるような環境を作る、ということですね。それを具体的にすると、個々の選手の気持ちの変化をキャッチして、必要なケアをして、ボート部を好きでいてもらう……そのために行動すること、これが私の役割だったかなと思います。先ほどの菊池さんの話にもあった通り、本当は新歓を成功させることを求められていたと思うんですけど、そういう女子部はあまりイメージできなくて。それよりも、小さくても続いていける女子部を作りたかったので、自分にはそういう役割の方が向いてるかなと思ってました。
岡 :監督をしてる中で嬉しかったことは。
佐藤:そうね……(熟考)……まず前提として、「女子部を小さくても続いていけるチームにしよう」と思ってやってきたので、それについて嬉しかったことを話します。
最初に聖美と華織が入ってきてくれて、この2人は女子部を一から作るという意気込みが強かったんだよね。04の代(今の4年生)で新入生がたくさん入って、そのとき2人と一緒に、今後の女子部の展望を考えたんですよ。「1年後に女子でクォドを組んでなんらかのレースに出る。2年後に2000mの距離をしっかり漕げるようになる、タイムトライアルができるくらいのレベルにする。3年後(04が最高代になったとき)に、一橋や京大と対校戦で戦う。5年後に、インカレの準決勝に進む。そして何年後かはわからないけど、いつかインカレのファイナルAで戦う」と。で、蓋を開けてみたら、選手たちがそれを上回るスピードで女子部を育ててくれた、そのことが嬉しいです。それ以外に小さな「嬉しかったこと」はたくさんあるけどね。
岡 :今のところ、そのプランをしっかり叶えてきてくれてますね。
佐藤:そう。そうなんだよね。
岡 :なんでこんなにうまくいったんでしょう?
佐藤:この展望を今の4年生たちに伝えたことはないんだけどね。だから、すべてその通りに進んできた、という感じではないけど……そうね、結果的には「すべてのピースが奇跡的にハマった」ということでしょうか。「こうしよう」とか「こうなるだろう」とか、そういう予測のもとに集まったメンバーではないんですよ。ただ、選手は全員、「自信を持って活動できるチーム」を作り上げたい、という気持ちを持てていたと思う。そしてコーチは全員、「選手が自信を持って活動できるチーム」にしたい、と思っていた。そのために「選手自身に考えさせること」を重視しました。それ以外の点ではもうばらばらに、ぎりぎりで集まったメンバーだったけど、そこが共通認識としてあったのは大きかったかも。
岡 :振り返ってみれば確かにそうなのかもしれません。コーチ陣のチームワークも、この共通認識があったからこそ築けたと思います。
佐藤:選手の話をすると、まずはもちろん、聖美の存在がありました。「女子がレースに参加できる部にしたい」という気持ちで自ら選手になって、しっかり成果を残せるところまで育ってくれました。そして、そのあとに華織が、悩みながらも最後まで続けて、一つ下の後輩の面倒をしっかり見て、育ててくれたこと。これもすごく大きなことだったと思います。
今の4年生は、最初から選手としてまっすぐでしたね。「自分たちが結果を出して男子と対等に活動したい」という気持ちが最初からあって、それを最後まで貫いてくれました。
岡 :そうですね。最初に会ったときは、どの選手もまっすぐというか、素直というか。良い子すぎてびっくりしました。
佐藤:ただ、それだけではやはり足りないところがあって、そこに、青木と磯崎という後輩が入ってくれました。今の4年生はその2人が入ってきたあたりから、「自分たちが結果を残すだけ」「自分たちが楽しむだけ」ではなく、自分たちの殻の外を見られるようになったなって思います。後輩ができると、やっぱり、自分たちがやってきたことを伝えたい、伝えなきゃいけない、という思いが生まれるので、それも大きかったなと。
それでまたこの後輩たちがね、とても……なんというんでしょうね、すがすがしい子たちだった。青木も磯崎もスタッフの小栗も、行動派で、先輩たちの背中をしっかり押してくれて、みんなここまで引っ張りあげられたのではないかと。たぶん誰が欠けても、まああたりまえではあるんですが、ここまでは来られなかったと思います。
岡 :なるほど……。
佐藤:次にコーチの話をしますと、まず「女子部を復活させよう」ってなったときに、「協力しますよ」と唯一言ってきてくれたのが朝倉さんでした。女子は男子といっしょくたではなく、女子のフィジカル、メンタルに合わせて、適切なペースで育てるようなチームを作ったほうがいい、そういう女子部を作りたい、ということで協力してくださいました。
聖美も華織も、今の4年生も、女子部として漕ぎ始めた時期にシングルスカルを習ったのが全員朝倉さんなんだよね。細かい指導というより大枠を示すやり方なので、選手たちはもしかしたらそこまで思っていないかもしれませんが、朝倉さんに最初から最後まで、ずっと漕ぎを見てもらったのは、すごく大きいと思います。途中で漕ぎの方針が変わるということもなかったし。朝倉さんは最初女子部コーチで、途中からヘッドコーチに変わったけど、女子部のことはずっと気にかけてくださっていて、とてもありがたいことだと私は思います。
そして片山さん。片山さんは、聖美が選手になると決めた時に、「ならばぜひサポートしたい」ということで育ててくれました。目標とするレースを決めて、それまでにどういうペースで練習していけばいいのか、どうすれば目標を達成できるのか、ということを、練習メニューを通して伝えてくれた。東大ボート部の過去10年を自分なりに消化して、外国人コーチの時代とOBコーチの時代の両方を知っているからこそ、各々の指導法のエッセンスを取り入れて。とても親身に熱心にやってくださいました。「ボートの練習」のやり方を女子部に教えたのは片山さんです。
そして、その下地があってからの前川さんでしたね。適切なトレーニング量と長期計画、その理論的な裏付けが、女子部の目指す活動形態にとって最も根本的な支えになりました。それも大胆に、誠実に伝えてくれたので、選手も「これが自分の求めていたものだ」と分かって、どんどん雰囲気が良くなりました。
あとは、岡本コーチが見に来てくれた時期もあったり……そして岡さんも入ってくれて。コーチングに来る頻度はそこまで多くなかったかもしれないけど、選手たちの説明能力を引き出してくれたのは岡さんなんじゃないかなと。
岡 :そうなんですか?
佐藤:仙台育英が今年甲子園で優勝したんだけど、その選手たちの特徴のひとつが「説明能力の高さ」である、というのを何かで読んで。あ、これだなと思ったんですよ。最近の女子部がうまく回ってるように見えるのは、自分の気持や状態を言葉にする、説明することが増えて、すごく上手になった、ということがあると思っていて。スポ根というか、「コーチから言われたことをただ黙ってやる」という時代から変わっていくとすれば、選手自身の説明能力というのはどうしても求められてくる。片山さんと前川さんはしゃべる量がわりと多いタイプで、それもモデルとしてはよかったと思うし、岡さんのやり方も別の面で効いてるんじゃないかなと感じてました。
岡 :そう言っていただけるとすごく嬉しいです。言われてみれば、とにかく選手にしゃべらせることというか、言葉を引き出すことはいつも心がけていました。自分があんまりしゃべる方じゃないんで、じゃあ人にしゃべってもらえばいいやという魂胆もあるんですけど。
佐藤:でも、誰にでもできることじゃないと思います。
岡 :ありがとうございます。
佐藤:はい!
岡 :監督をしている中で大変だったことは。
佐藤:大変な時というのは、私よりも選手の方が辛いはずなので、あまり「大変だった」という記憶には残してないんですが、強いて言えば……そうね、時間と精神力、体力を一番使ったのは、今の4年生が女子部に合流したときですね。実体のない女子部を一から作ろう、ということなので、うまくいかないことはあってあたりまえ、と私は思っていたけど、でも選手にとっては「自分たちが思っていたような活動ができない」というもどかしい時期だったと思います。新しい組織を作るには絶対通らないといけない道なんだけど、やっぱりその時期はお互い大変だったなと。そもそも女子用の用具がないとか、そういう面もあったし。女子部は柔軟な活動方針で進んでいこうとしていたけれど、やはり対校戦とか男子部との兼ね合いとかの場面ではそれが通らないこともあって、周りの理解が得られない、という意味でも一番辛い時期だったのではないでしょうか。山路監督にも調整役をずいぶんしていただきました。
岡 :今の4年生の代で、女子漕手がまだ5人いるときでしたね。
佐藤:もちろんその子たちが全員漕手として続けるというシナリオもあったし、もしかしたら全員でエンジョイローイングの方向に行っていたかもしれない。そして全員で、対校選手としてばりばり活躍していたかもしれない。でもその方が良かったとは限らなくて。本当にそのときそのときで、受け入れられる道をぎりぎりで選んできたんだよね。その積み重ねで今の女子部の形になったんだったら、今のあり方が一つの正解だったんじゃないかなと思います。
岡 :東大ボート部の魅力を教えてください。
佐藤:東大に入った人というのは、多かれ少なかれ勉強面での自信があって、ある種のちょっとした優越感も持っている。でも自分自身、なんとなくこれはうすっぺらいものだって気づいている。そして学生のうちは「価値あるものから何かを学びとる側」だけど、社会に出たら「自ら価値を生み出す側」にならないといけない……ということがある。とすると、その「価値を生み出す側」になるために、大学4年間で何をするか?と考えるんだよね。
誰かを支えたり助けたり役に立ったり、そういうのができるようになるためには、自分自身が何か死力を尽くして努力した、そういう経験がないと難しいのでは、と思っています。そうじゃないと、本当の意味で、価値を生み出す側、誰かを支える側にはなれない。学生生活最後の4年間、たっぷり時間をかけて、いくらでも失敗できるチャンスがあって、自分の弱いところを徹底的に見つめて、負ける経験をたくさんして……負けるっていうのは、色んな意味でね。レースでも気持ちの面でも、人とのやり取りの中でも、負ける経験をたくさんして、自分を等身大で見られるようになる。そういうものが、社会に出たとき糧になるんじゃないかなと思います。
岡 :ここまで死力を尽くせる場ってなかなかないですよね。
佐藤:東大生だから、頭を使うことだったら、ある程度かっこよくできると思う。でも、自分の身体の限界が試されるとなると、「ほんとに苦しい時って、自分ってこんなどす黒い感情が出てくるんだ」とか、「こんなふうに疲労困憊で何も考えられなくなるんだ」とか、そういう気づきがある。そんな自分を一度正面から見て取り扱う、そういう経験ができる場はなかなか少ないのでは、と思いますね。
岡 :ボート競技の魅力を教えて下さい。
佐藤:やっぱりクルーを組んで、まったく違う考え方の人とでも、シンクロして一体にならなければならない……というところが、奥が深いと思います。もちろんトレーニングで自分の身体と向き合う、成長する喜びを知る、というのも一つの大きい要素だけどね。でも、その先にはやっぱりクルーボートがあって。知れば知るほど、相手のことが好きになっていく部分もあれば、嫌いになっていく部分もある。それを全部ひっくるめて、受け入れて、一つのクルーを作るところが醍醐味だなと思います。
岡 :本当にそうですね。
佐藤:ねえ。こんなに嫌いな人でも、こんなに嫌な奴でも、こんなにわけのわからない相手とでも、同じ舟に乗ってゴールを目指せるんだというのは、ボート競技でしか発見できない、人間のすごいところですね。
岡 :私は他人が嫌いなまま終わってしまった現役生活でした。今はそんなことないんですけど、当時は嫌いなところを受け入れて前に進む、というところまでいけなかったですね。でも、今の04の3人はそこを乗り越えられたのかなと、見ていて思います。
佐藤:きっと新人期に培われた絆が強いんでしょう。
岡 :なんだかんだ言いつつ、好き嫌いのレベルを超えて、人として認め合えているというか……この子たちは引退したあとも会えるような関係まで育ったかも、とふと思えた瞬間があって。そのとき、コーチやってて本当によかったと思いました。
佐藤:ほんとにね。引退してからも、その後の人生の色んなステージを共有しようと思えたら、それってとても嬉しいことだよね。
岡 :女子部の選手へメッセージをお願いします。
佐藤:一人ひとりいきますね。
(※一人ひとり、とても時間をかけて考えてくださいました)
まず、水優ちゃん。漕手になるかどうかを迷っていたけれど、先輩たちと同じクルーに乗ってみたい、という気持ちで、決心してくれました。その決断がなければ、今年の女子部の活躍はなかったと思います。なので、本当に感謝しているし、期待しています。
涼ちゃんは、常に自分の気持ちに正直に向き合ってきたと思います。だからこそ、今の「コックス兼漕手」という新しい活動の仕方を切り拓いてこれたと思うし、それがすでに大きな貢献です。涼ちゃんには、選んだ道を正解にする力がきっとあると思います。
あおちゃんは、誰よりもレースで勝つことを強く願ってきたと思います。その思いが女子部の原動力になりました。最後のレース、大好きな人たちみんなの応援を受けて、漕ぎ切ってください。
きみちゃんは、誰よりもボートが好きで、そして自分にも周りにも嘘をつかない、そうやって過ごしたこの4年間は、他の人には決して辿れることがない道だったと思います。最後のレースは、クルーと一緒に、舟と一緒に、漕ぎ切ってください。
さっちゃんは、誰よりも「強くなりたい」という確かな気持ちをもって、入部してからずっと、女子部を引っ張って来てくれました。最後のレースは、自分を信じて、クルーを信じて漕ぎ切ってください。
岡 :素敵なメッセージをありがとうございます。
岡 :最後に、これを読んでくださっている方々にメッセージを。
佐藤:この5年間、女子部監督をつとめさせていただき、今年は特に多くの方々に、お祝いや励ましの言葉をいただきました。女子部が今こうして、目に見える活躍ができているのは、多くの方々の努力の積み重ねのおかげです。
女子選手が漕ぎ続けられる場所を残したい、という気持ちでやってきましたが、それは常にみんなで心をかけて維持していかなければ、簡単に失われてしまうものでもあります。
今の現役部員の皆さんは、ボート部は男子も女子も共に活躍できるチームになれると、実感を伴って言えると思います。それはこの部の長い歴史の中でも、とても、とても稀なことです。これをあたりまえにしたほうがいいよね、と思う人がいたら、このあたりまえを守るために考えて、発言して、行動してほしいと思います。今のボート部の記憶を鮮やかに持っていられるのも、維持できるのも、失われたときに取り戻せるのも皆さんだけです。
また、OBOGの皆さんには、ぜひボート部に戻ってきてほしいです。今もOBOGコーチやスタッフは皆、仕事や家庭がありながら、ボート部に関わり続けてくれています。今日はしんどいなーという日もあれば、家族と過ごしたいなーと思いながら来る日もありますが、それでも自分がコミットする姿勢を見せることが選手の背中を少しでも押せるならと続けています。この力が繋がっていくことが必要です。今は30代が多く活躍していますし、20代後半や40-50代の方にもぜひ関わっていただきたいです。
そして、今年も応援してくださった皆様には、今の女子部そして東大漕艇部を、記憶に残していただけたら幸いです。誰かの記憶に残る限り、チームは何度でも再生できると思うので。
岡 :本当にそうですね。ありがとうございました!
いかがでしたでしょうか。
文字を起こしながら、前述の冬場のダブルのとき、いつほさんが艇上にチョコを持ってきていて、「食べる?」とくださったことを思い出していました。
小さな気遣い、でもそれがとても大きな気遣いだったことを、当時の私はまったくわからずばくばくチョコを食べていましたが、今ならその意味が少しはわかります。
現役のときはよくわからなかったことも、こうしてコーチ・監督として一緒にやっていく中で、新しく見えてきたこと、気づけたことがたくさんあります。それによって自分の選手時代の見方もちょっとずつ変わってきて、感謝することもよりいっそう増えました。
「OBOGの皆さんにボート部に戻って来てほしい」という言葉にはそういう意味もあるのではないかなと勝手に思っています。
いつほさん、この5年間、本当にありがとうございました。
女子部のみんなは、このバトンをしっかり受け取って、次に繋げていってください。
それでは次回もお楽しみに。
女子部コーチ
岡