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ボート部における人間、あるいは人間の関係について+おまけ

ボート部における人間、あるいは人間の関係について

(※新歓記事)

ボート部にいる人にはある種の魅力があります。

というのは、ボート部に所属するだいたいの人が、自信をもっていえることではないか、と思います。

でも、なぜそんなことが言えるのか?

今回はこの問題について、

ボートという競技のもつ「特殊性」から考えていこうと思います。

この世には数多くのスポーツがあります。

(心技体において自らを成長させ、記録や勝利をひたすら求めるというこの営みに、

人生のすべてをかける人もいれば、まったく興味をもたない人もいます。不思議なことです。)

私は、スポーツの本質とでもいうべきものは、その「ルール(規則)」にあると思っています。

それぞれに固有のルールがあり、ルールが各競技の特色や魅力、味を作り出しているといえます。

ルール、というと、「守らなければならない、選手の行動を縛るもの」というなんとなくいやなイメージがありますが、

そうした「縛り」こそが、

人間の営みとしての「スポーツ」に意味を与えているのではないでしょうか。

では、(ここはボート部のブログなわけなので、)

ボートという競技のルールが持つ意味

とは何なのか?

(※以下では二人乗り以上の「クルーボート」のことを考えています)

ボート競技のおおまかなルールは、

2000Mという定められた距離を、ボート(艇)に乗った選手が、取り付けられたオールを操ることにより、自分の乗った艇を最もはやくゴール地点まで運べたら勝ち

というものです。

私は、ここで重要なのは、2000Mを動く主体である「艇」それ自体に選手が乗っている、そしてその人数は複数である、という点だと思います。

艇がレース途中で砕け散るというようなことはおそらく起きないので、

同じ艇に乗っている人間たちは、

とりあえず2000Mもの間、決して互いに離れることはできず、

だいたい同じ速度、同じ時間、同じ空間を共有することになります。

でも、それぞれの人間は、もちろん違う人間です。

生まれた時も違えば場所も違う、育ってきた環境も違う、体つきやものの考え方、感情の色、

すべてが違うのです。

そんな「互いに違う」人間が、

一つの艇に乗り、

同じ速度、同じ時間、同じ空間を共有するというのは、

それだけで大きな「矛盾」(のようなもの)をはらんでいると思います。

私は、この矛盾こそが、ボート競技の「みそ」ではないか、と考えます。

一つの艇に複数の人間が乗り、そしてその人間たちが協力して力を発揮することで、艇をできるだけ速く動かさなくてはならない。

しかしそこに大きな矛盾があるいじょう、その作業の中には無数の対立あるいは諍い(それは目に見えるものであったり見えないものであったり、理にかなっていたりいなかったり、相手が他者であったり自分であったりしますが)が生じます。

一つの艇に乗る「クルー」は、そうした対立や諍いと常に相対し、

それを乗り越えたり、乗り越えられなかったり、を繰り返している、

まさに「一筋縄ではいかない」人間関係を創り出しています。

もちろん他の競技、あるいはスポーツに限らなくても、

こうした状況というのは往々にして見られるものだとは思いますが、

ボート競技ほど、

それが(経過においても結果においても)目に見える形であらわれるものはなかなかないのではないでしょうか。

だからこそ、ボート部における人間関係には、

他にはない「特殊な強さ」があるのだと思います。

同じ艇に乗る「クルー」と対する中で、

全員が「艇を速く進める」という共通の目標をもちながら、

それぞれに全く異なる感情をいだき、互いに対して様々な要求をいだき、

それを表現するかどうかで迷い、

自分が本当に正しいのかどうかで迷い、

でも最終的にはクルー全員でレース本番に臨むことになります。

これは、それ自体でものすごい困難だと思います。

ボート部にいる人にはある種の魅力があります。

と言うことができるのは、

クルーの「一筋縄でのいかなさ」を、

この部にいる人が確かに共有しているからではないか、と思います。

一筋縄のいかない問題をかかえながら一緒にボートの練習をする……

そんな部員たちに、おのおのが魅力をおぼえないわけがありません。

(逆の言い方をすれば、魅力をおぼえないとやっていられません。)

ポイントは「人間」ではなくて「人間の関係」にある、ということです。

つまり、その人自体にそれほどの魅力がなかったとしても、

「クルー」という特殊な関係をつくる要素となることで、

少なくともボート部の人には

「あいつは魅力のある人間だ」

と思われることができる、というわけです。

それが良いことなのか悪いことなのかはよくわかりませんが、

とりあえず「ボートを漕がなければできないこと」だとは思います。

つまり何が言いたいのかといいますと、

私はボート部にいる一人ひとりが好きで、

それはたぶん皆が「ボート部員」だから、というだけの理由で大体十分なのではないかと思います、

ということです。

なのでこれを見てくださっている新入生のあなた……

是非ボート部にはいってください。

新三年漕手 岡

(長い間更新しておらず申し訳ありませんでした)

おまけ

ひとつ前の眞鍋の記事を読んで、思わず顔がにやけました。

そのレースが終わった時、私もとても嬉しかったです。

というのは、

今のレースに勝てたのはこのクルーだからで、

相方が眞鍋だったから、

と自信をもって言えると思ったからです。

私は、

「良くなるのも悪くなるのも自分次第」というシンプルさにおいて

シングルスカルが結構好きなので、

シートレースは

「ダブルかー、うまく合わせないとやばいなー」

と若干憂鬱だったのですが、

この眞鍋とのダブルは

スカルTTより楽しかった……というか、

心を込めて漕ぐことができたと思います。

「勝ちたい」という眞鍋の思いが後ろから感じられて、

整調としての自分の責任を心からまっとうしようと思いました。

東商戦でも、

「このクルーだったから勝てた」

と言えるようなレースができたら良いと思います。

眞鍋さんありがとうございました。

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