昼下がり

夏になると、いつも思い出す俳句があります。

「汗かいた コップに落書き 昼下がり」

これは僕が小学四年生の時に同級生が作った俳句です。別にめちゃくちゃうまいわけではないんだろうなと素人目線ですが思います。

当時僕は愛媛県松山市に住んでいました。実は松山は正岡子規の生まれ故郷であることから俳句の聖地で、毎年俳句甲子園が開かれています。その影響なのか、小学校の授業や長期休暇の宿題で俳句を作り、先生が優秀作品を選んでみんなに紹介することが割と頻繁にあります。その頃から僕はとても負けず嫌いで、いつものように夏休みの宿題で俳句を作ったのですが絶対に選ばれたい、と思い何個か作った上でどれがいいか選び、自信のあるものを提出しました。しかしその努力もむなしく、選ばれたのは「汗かいた」の俳句でした。いつもは発表された瞬間悔しさが込み上げるのですが、感動が上回ったのを覚えています。結露については理科の授業で習っていたので現象としては理解していたのですが、それを「汗」と呼ぶ表現力はどう頑張っても手に入らなさそうだなと子供ながらに諦めました。

その時は「汗かいた」のインパクトのせいで頭にこびりついていたのですが、最近この句を思い出す際にはまた違った感想を持つようになりました。最近、というよりはコップに落書きをしなくなった頃からでしょうか。

小学生にとって、濡れたコップはその小ささ以上に大きなキャンバスです。冬場に濡れた車の窓や、お風呂場の窓に落書きして「跡が残るからやめなさい!」と怒られたことがある人も多いでしょう。でもコップなら怒られません。なんでも描けます。

いつから僕はコップに絵を描くことをやめてしまったんでしょう。ある夏休みの昼下がり、時間があってもコップになにか描こうとはしないです。Youtubeをみたり、Switchをしたりして満たされない時間を過ごすだけです。授業間の10分休みに運動場へ飛んでいき、走り回って帰ってくる元気はもうないでしょう。大学では25分も休みがあるのに、教室移動で精一杯です。真夏の公園で3DSを持ち寄り、遊具の影でひたすら遊び、飽きればボールを追いかけ回り、疲れたらまたゲームをする。どうしてあんなことができたんだろうか、多分今誰にきいてもこの誘いには乗ってくれないでしょう。

なにか今と昔とでは時間の流れ方や世界の見え方が違っている気がします。

小学生の頃と比べてもそうですが、中高生の頃からしてもよく思い返すと変わってしまったことが多いです。それは将来の夢とか好きなタイプが変わったとかそういうのではなく、友達と遊びにいくってよりは飯に行くという表現の方が近くなったな、とかそんな感じのことです。

決して昔の方がよかったなんていうつもりはありません。きっともう少しだけ大人になったら、半日休みに練習で疲弊しきった体で高校同期と飯に行くなんて元気だったなぁとか、エルゴを回し艇を早く進めることだけを考えて過ごしていたあの日々は青春だったなぁとか思うんでしょう。だから今を大事にしよう!なんてありきたりな結論にするつもりは全くないですが。

少し昔のことを思い出して感傷に浸ってみるのも悪くないです。時間があまりがちな夏休みの昼下がりに、こんなことしてみるのはいかがでしょうか?

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8/5の花火大会の様子です。今のところ、今夏唯一の夏っぽいことです。

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