運動会は大学の団体である。教育の一環としての活動である以上、「敗北者」としての経験をしてその「くせ」を身に付けて卒業するなんてあってはならない、「勝つ」という経験を身にしみこませて、社会に出ることが求められて然るべきだ。
こんな意味のこと、一昨年のインカレか全日本の後の懇親会で乾先輩がおっしゃったことがあった。
この言葉を聞いた当時、正直この言葉の重さが分かっていなかった。
しかし自分が最高学年として臨んだ平成二十六年度、この言葉の重さとの戦いだった。
「自信」を完全に失ってのスタートだったからである。
「自信」というものがこんなに大切なものだったとは、気付かなかった。自分の求める姿、目指す目標とは往々にして、自分の限界を超えたところにある。そして、自分の限界に挑戦し続けるには、自分は出来ると信じなければ不可能だ。自信は気力維持に不可欠だったのだ。
後輩たちに言いたい。
「自信」は本当に大事だ。
人は自分の信じた道でしか頑張れない。
頑張れば自信がつく、と言うがそうではない。自信があるから頑張れるのだと思う。無い力も振り絞れるのだと思う。
悩んで苦しんで恐怖におびえながらでも良い、周りに非難されても、白い目で見られようとも、考えて考えて考えて、努力して努力して努力しよう。試してみよう。認められることを目指すのではなく、自分の血となり骨となる「実力」をつけよう。そして結果が帰ってくるという経験をしよう。「自分は頑張れば、『一番』になれる」確信を持とう。この確信が、「自信」となり、「自信」は将来自分を根底で支えるものとなるだろう。
4年間をかけて、自信を失うような経験だけは絶対にしてはいけない。挫折経験は、それを乗り越えることが出来たなら、次のステップアップに非常に大きな力を持っている。でも、挫折しっぱなしなら話は別だ。
自信を失ってしまったら、何もできなくなる。頑張りたいと思っても、頑張れない。成長できなくなる。怒りも悔しさも感じず、感情がわかなくなる。そんな人間が魅力的だろうか。どこにそんな人間を求める場所があるだろうか。
自信を失った状態で現役生活を終えてはならない。
私は、浪人している。
中学3年のとき、学年の席次が10位から100位まで落ちた。
高校生のとき、絶対に受からないから、受けるのは止めろと高校の先生全員から言われた。
現に、2回も落ちた。
それでも頑張り続けられたのは、「自信」があったからだ。
「私は頑張れば一番になれる」という「自信」だ。
この自信は、小学生の時にクラスで飛び抜けた一番であり続けたことで生まれた。しかしその背景には、厳格で、幼い私に取って世界で一番怖かった祖母に徹底的にしごかれ、躾けられたという経緯がある。決してほめてはくれず、恐怖と劣等感に苛まれながら、ひたすらやるべきことをこなしてきた。しかしそのおかげで、生活面も勉強も運動も芸術も苦労したことは無かった。
苦しくても頑張り続けた期間があったから、「実力」がついた。
「実力」が出来たから、「結果」を出すことが出来た。
「結果」が出たから、「自信」を得た。
「自信」を得たから、例え挫折してもそれを乗り越えるだけの気力を得、頑張り続けられ、「結果」が手に入るのだ。
引退まで2ヶ月を切った。
全日本選手権、自分のすべてをかけて勝負しよう。
四年漕手 眞鍋朋子