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武士の拘り(こだわり)

こんにちは。

最近、「幕末最強の剣客集団」新撰組にはまりだした岡です。

確か自分が小6の年のNHK大河ドラマが新撰組で、それを見た当時もかなりはまったのですが、

もうすぐ二十歳という歳になって、再び新撰組熱に火がつきました。

とにかくかっけーなあの人達!

特に副長の土方歳三さんのかっこよさは半端じゃないです。

自分の信念、というか、それはただの「拘り」といってもいいかもしれませんが、

その拘りのために、頑なに生きて死んでいった感じが好きです。

武士になることを夢見て江戸から京に上った土方たちと、

京都大学との闘いを通して「誠のオアズマン」になるべく瀬田川へ赴く自分たちの姿が重なります・・・・・・

というわけでもないですが、

とりあえず京大戦が楽しみです。

というか、瀬田川と京都が楽しみです。

さて、全体ブログの方でもいくつか記事が投稿されていますが、

今週の火曜日にはエルゴ2000(MAX)がありました。

記録の良かった選手がとても多く、めでたい限りですが、

自分はとても悪い結果でした。

女子部全体でも、何か微妙・・・・・・という停滞気味の空気があるように思います。

冬場の2000から劇的に変わったということがあまりない。

自分は、

とりあえず8分は切りたい

(いや、調子を絶好調にもっていければ多分そんくらい切れるはず)

という密かな目標のもと、2000に向けて周到に準備を重ねてきたつもりでしたが、

毎週火曜の95%・98%エルゴで出せていたはずのタイムをも下回り、

目標まであと約15秒ですね!というなんとも残念な結果に終わりました。

(木曜日(昨日)には、2000の結果に納得いかない人向けに「エルゴ2000リベンジ」のチャンスも与えられていましたが、

疲れが溜まっいてタイムもあまり出ないだろうと思ったので迷った末やめました。)

東商戦で惨敗したときより、軽量級の敗復で予選では勝った相手に負けたときより、

2000で「8分」への遠さを思い知らされた今回の方が、

よほど重たかったです。

何が重たかったかといえば、何かに負けたときに心にのしかかってくるものがです。

今回のエルゴ2000での「負け」が何に対しての負けだったのか、というのは難しい問題ですが、

とりあえず「他者ではない」という意味で「自分」ということにしておくと、

どうやら、他人との勝負より自分との勝負に負けたほうが、

心にくるものは大きいようです。

その差は多分、やっぱり、

「拘り」の差にあるのではないかと思います。

人間、他者に対する拘りより、自分に対する拘りの方が圧倒的に強いものではないでしょうか。

他者に、自分以上の拘りを持つことはできるでしょうか?

他者に対する拘り(例:俺の彼女があんな阿呆みたいな服着てるなんてありえねえ!許せんぞ花子!)、って思っていても、

実はそれは自分に対する拘り(例:花子は俺の彼女なんだから、あんな服を着てもらうわけにゃいかねえ!俺の名が廃る!)

だったりすることが多いのではないかと思います。

逆に言うなら、

誰か他人に負けて悔しい、と思ったときは、

本当はその相手に負けて悔しいのではなく、

「相手に勝てるはずの自分」に負けた(そこまで到達できなかった)

からこそ悔しい

ということが往々にしてあるのではなかろうかと思います。

「拘り」のより強いものに負けるからより悔しい

東商戦や軽量級にはそこまで強い「拘り」をもって勝負できなかった、

つまり、自分とすら勝負ができなかった

というのが最も反省すべきところではありますが、

「(レースとかで)この相手に勝ちたい」

と口にするとき、

「この相手に勝つ自分に勝ちたい」

とこっそり言い換えることで、

「拘り」を大事にしていきたいものだと思う次第です。

そして土方副長のような誠の武士(漕手)になりたいです。

なんだか今更言うまでもないことを書いたような、変に迷走したような、

妙に混乱した心持ちではありますが、

今回はこれにて失礼します。

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