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東大ボート部がどのようにドラマで描かれるか

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こんばんは、対校齋藤崇治です。
皆さんお気づきかと思いますが、yahooで「東大ボート部」と検索すると、「東大ボート部 ストロベリーナイト」とサジェストされます。「東大ボート部 おやじ」より先に出るんですから心外です。ちなみに、ストロベリーナイトというのは竹内結子主演のドラマです。このドラマは見ていなかったので調べただけですが、あるスペシャルで犯人が「東大ボート部出身警察官僚」という設定だったらしく、「ボート部だったなら川に詳しいはず」ということで主人公に犯人だとバレます。この捜査過程に多くの視聴者が疑問を抱いたらしく、未だに「東大ボート部 ストロベリーナイト」がサジェストされます。ちなみに、犯人の設定は「ひねくれたエリート意識の持ち主」です。
ところで、最近のドラマでも東大ボート部が登場しました。NHK「ガラスの家」です。一昨年に戸田に撮影しに来たので覚えている方もいるかと思います。こちらは「財務省主計局長の息子、東大ボート部主将だった主人公が、父と同じく財務省に入省するも、仕事、恋愛で親と反目し、ボート部マネージャーだった恋人を捨てて父の新妻を奪い、財務省も辞める」というストーリーです。
さて、ここで「東大ボート部」という設定が与える意味について考えてみると、面白いことがわかります。ストロベリーナイトでは第一に「川に詳しい」という重要な設定を説明する役割を果たすとともに、「警察官僚」という設定からも「エリート性」(当然悪い意味での)を補強する役割があります。一方、ガラスの家では「財務省幹部の息子」「自身も財務省」という設定からも、ストロベリーナイト同様、「主将」という設定とあわせて、「エリート性」補強の役割があると共に、副次的ではありますが、女マネだった恋人との馴れ初めなど「大学時代の交友関係」を説明する役割があります。
こう見てみると東大ボート部という肩書きに与えられた役割は「エリート性」の補強であると推察されます。これは、おそらくボート部に限った話ではなく、ドラマに出て来る東大運動部共通でしょう。例えば、相棒劇場版??では、過去の事件を隠蔽しようとする警察上層部として「東大セーリング部OB」軍団が登場します。しかし、「東大」が「エリート性」を表わすことは仕方ないとはいえ、「運動部」であることがどうして「エリート性」を補強する役割を与えられるのでしょうか。
この役割は必ずしも自明ではありません。なぜなら一般的にドラマにおいて「大学運動部出身」という設定には、1いわゆる「体育会系」の性格(熱血漢、正直、真っ直ぐ、単純、バカ、肉体派)の説明、2交友関係の説明(時として、ゼミやサークルよりも濃いつながりを暗示する)、の2つの役割が与えられています。直近では、半沢直樹が好例でしょう。半沢は慶応出身ですが、上記の「エリート性」は見られません。ところが、なぜか「東大」という設定が入った途端にまるで役割が逆転します。不思議です。個人的には「東大ボート部出身の半沢直樹」のようなドラマを期待しています。そして息子に「お父さん、ここ出身なんだぞ」と言ってみたいです。
ここまで書いて思いましたが、ここ数年で2度、ドラマに登場する「東大ボート部」ってスゴいです。
ちなみに、現実を見てみると、昨春の日経記事( http://www.nikkei.com/article/DGKDZO69724890R10C14A4EAC000/ )で「一橋ラグビー部出身のつながり」が紹介されています。世間はこういう「関係図」作り、「カテゴライズ」が大好きなようです。

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