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埼京線からみる荒川の緑は濃くてきれいだ

こんにちは。
ジュニア漕手、浅尾信央です。
タイトルに意味はありません。

ジュニア「漕手」とはいったものの、現在は僕自身も「本当に漕手と言えるのか」と考えてしまうような状態です。関谷先輩がおっしゃった通り、現在リハビリ中です。

年末フライ後初めての練習で右肩に異変を感じました。はじめは動かしにくいといった違和感だけだったのですがだんだん痛みを感じるようになり、病院に行ったところ右肩にガングリオンという腫瘍ができており、その腫瘍が神経を圧迫しているため、棘下筋と呼ばれる肩甲骨周りの筋肉に麻痺があることがわかりました。つい1ヶ月ほど前に手術し、今はその棘下筋の働きを良くするようにリハビリを行っています。

現在は一時期と比べると非常に状態がよくなり、自分の感覚ではおそらくあと1ヶ月ほどで練習に完全復帰できるのではないかと考えています。

僕を含め現在ジュニア漕手は全員で9人で、この半年間近くはジュニアはエイト一杯のみギリギリ組むことができる人数しかいませんでした。僕のせいでジュニアには大きな迷惑をかけてしまったことをほんとうに申し訳なく思っています。

東商戦は右肩を比較的使わないストロークサイドでジュニアエイトに出漕することができたものの、その時期を除いては乗艇は5ヶ月近く、エルゴに関しては半年以上メニューとして全力で漕ぐことができていません。昨日久しぶりにエルゴを10分間ひいたのですが60分エルゴの自己ベストアベレージをたった10分間キープすることすらできませんでした。フォームも崩れ、体力も筋力も衰え、ほんとうに自分が情けなく思います。

さて、怪我にしろ病気にしろ、練習に参加できないのはとても辛いものです。同期の体つきが着々と逞しくなり、漕技が向上し、クルー全体としてユニフォーミティのある漕ぎができるようになる一方で、僕はこの半年間で何を得られたのでしょうか。体力は落ち、漕技も身体から抜けてしまっているでしょう。体幹トレーニングは欠かさずに行っているため、少しはマシだろうとは思いますが上半身、特に腕や肩周りの筋力は大きく落としてしまいました。何も得られなかった半年間と考えるなら虚無感に襲われます。

たしか3月のことです。そのようなことを考え、おそらく残り3ヶ月ほど同じように無力感に苛まれるであろうことを考えたため、大きな怪我を乗り越えいまも漕手として活躍なさっている先輩にアドバイスをいただけないか、お話を伺いました。その時、先輩は「怪我の時期は辛いかもしれないけど、その時期があるからこそ強い気持ちで漕ぎ続けるメンタルを持つことができる」とおっしゃってくださいました。

僕はいまエルゴのひき方すらままならず、非力な漕手であることを自覚しています。たしかに辛いです。

でもそれでも僕は漕手をやめることはないでしょう。
この数ヶ月でボートやめたいと思った回数より、ボート漕ぎたいと思った回数の方が何倍も、何十倍も多いです。

去年の新人戦で味わった勝利と敗北がいまでも脳裏に焼き付いています。勝利と敗北はからだに深く刻み込まれます。忘れられない最高のレースがしたい。それがぼくの原動力です。それに気がつかせてくれたのがこの半年間です。

もうひとつ気がついたものはこの部の居心地のよさです。落ち込んでいる時にアドバイスをくださったり、気晴らしに食事に連れて行ってくださる先輩方は多くいらっしゃいますし、何かと声をかけてくれたり、お見舞いに来てくれたりした同期にほんとうに感謝しています。この部全体で喜べるようにも僕は自分なんかに負けたくないし、レースで勝ちたいと強く思います。

半年間もかけて学んだことはこれだけかよと言われればそれまでですが、僕にとってはこういったことを自分の体で感じ得たというのはとても意義深く、そこらへんにある本やマンガで同じような言葉を目にするのとは天と地ほどの差があります。

ところで、京大戦で勝った瞬間から、学外でのレースで優勝したことのないジュニア漕手はぼくだけになりました。僕はまだ東商戦での悔しさを払拭できていません。誰よりもハングリーに勝利したいと感じています。まあ口でなんと言おうと、結果出さないと意味がないですね。夏が終わるまでには少なくとも半年前の自分に追いつけるようリハビリと体力や漕技の向上に集中します。

長くなりましたがとりあえずここで筆(スマホ)をおこうと思います。部のブログなのに自分の近況報告のようになってしまいすみません。書きたいことと書くべきことが多すぎてブログ更新が遅れてしまい申し訳ありませんでした。

次は白井さんです。

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