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現実逃避のついでに

各大学ボート部御用達(というか他に選択肢がない)戸田公園駅前の某スーパーがしばらく閉店となってしまいました。定期も切れてしまったので、赤羽等で降りて買う訳にも行かず、渋々地元のスーパーに行ったところ、気づいてしまいました。

「あれ、こっちの方が安くね?」

 

意外と速く回ってきましたね。(忘れられてなくてよかった。)(新)対校、齋藤崇治です。「嵩治」じゃありません。意味が全然違ってきます。こっちも忘れないで下さい、お願いします。

さて、最近テスト勉強への逃避からか、法学以外の勉強が捗っているのですが、そこで気づいた、というか思い知らされたのは

「歴史を知るということは、先人の思考の過程を辿るということ」

です。特に美術史で顕著ですが(勉強していませんが、哲学もその類でしょう)、先人たちが絵を描く元となった主義主張、事件、技巧、モチーフetcを学ぶというのは、(言い過ぎですが)後世の人からしてみれば、多くの手間を省いてその境地に辿りつけるということです。

無論、学ぶといっても、そこには徹底的な模写という時間のかかる過程があります。学び過ぎれば、それだけ発想の幅を狭め得るということもあります。

しかし、少なくとも無手勝流を「オリジナル」と称し、「努力したつもり」になる(昨年の今頃の僕はこういう状態でしたが)よりは百倍効率的です。ましてや、ボートというのは大学入学前に知りもしなかった競技です。ゼロからのスタートです。4年間で完成させるには、無手勝流だけでは間に合いません。

今シーズン始まって2ヶ月ですが、僕はこのことを嫌という程実感しました。つまり、「自分は不器用だから、上手い人にはわかってもらえない」とか諦めたりせず、(自分なりに考えた上で)学生コーチにガンガン相談することにしました。(言葉にするということは思考を具現化することです)この部において、学生コーチというのは「歴史」です。(失礼な言い方ですが)使わない手はありません。

そういう意味で学生コーチから学べるのは技術だけではないと思います。今後もお世話になります。


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