幻の京大戦合宿点描

※この点描はほんの少しだけフィクションを含みます。

「今日1日、宮原に話しかけられてはいけません。その場合あなたは朝の5時からまた1日を繰り返すことになるでしょう」

ある冬の木曜朝5時、頭の中にフワッとそのメッセージが浮かぶ。何の通知だろうか。携帯のようにディスプレイに示されているわけではないのに、なぜか理解できる文字列。いや、理解はできない。5時からまた1日を繰り返すってなんだ。馬鹿にしているのか。大体、宮原というのは遠路遥々この地『SAITAMA』にやってきた陽気な関西人の同期だが、入部以来ずっと同じ部屋で寝泊まりしていることから(今も向かいのベッドでぐっすり寝ている)話しかけられることを避けることは不可能に近い。そこまで考えて、先ほどのメッセージ(?)は昨夜見た「源頼朝&北条政子と餅つき大会する夢」の名残みたいなもんだろうと判断した。本当に悪質なイタズラ、というか何というか。そんなことより、今日は早朝練習が5時半からだから5時20分に起きるつもりだったのに、変な通知のせいで5時に起きてしまった。早起き戦士にとってこの20分寝られるかどうかは、かなりデカい。朝から最悪の気分だ。変なメッセージに余計なリソースを割いてしまったし。時計を見ると、針は5時5分を差している。ここから15分寝るかどうか。私は迷う間も無く3秒で眠りについた。

5時20分にかけたアラームが鳴る。5時20分という過去の自分からしたら信じられない時間ながらも、体は即座に活動を開始する。慣れって怖い。私のアラームはオーソドックスなやつだ。その他の同部屋メンバーの上田や宮原のアラームも鳴っている。バイト先に家の鍵を忘れて西友で一晩を明かした上田だが、アラームは私と同じオーソドックスタイプのようだ。長崎から来た彼は常にマイペースである。どのくらいマイペースかというと、シングルスカルのレース直前にスタ練で沈するくらいだ。宮原のアラームは和やかな朝の感じを演出した音楽なのだが、それで起こされる時のなんとも言えない気分は計り知れない。1回あのアラームを味わってほしい。実は我がT2部屋にはもう1人同期が寝泊まりしている。三村だ。三村は毎朝起床タイミングを攻める。そのため、彼のアラームが鳴り出すのは最低でも5時25分からだ。睡眠への貪欲さと躓いた時に咄嗟に出る声の高さは部内で随一だろう。5時23分、乗艇準備を終えた私は部屋の外へ出て、一階の食堂へ向かおうとした。そこへ後ろから声がした。

「今日寒すぎひん?」

宮原だった。その瞬間に朝の謎のメッセージが蘇る。私が思わず後ろを振り向き、そのトサカのような寝癖が視界に入った、と思った直後には私はベッドの上に戻っていた。目の前で起こった出来事を把握できないまま、慌てて時計をみると時間は5時で日付も変わっていなかった。本当に時が巻き戻っている。ふと、ここで私は思う。何か思い切ったことをしても、宮原に話しかけられればチャラになるのでは。例えば、夕食のデザートのみかんを上田から奪うとか。エルゴのバンパーを全部10にするとか。私の中で色々な想像が膨らむ。未来は多分明るい。宮原に見つからないようにしながら、適度にイタズラして遊び尽くそう!まずは絶対まだ起きていない三村の顔に油性ペンで落書きしようと思い、三村のベッドを覗き込むとそこには三村の姿はなく、宮原が寝ていた。驚きの余り甲高い叫び声をあげそうになった。心臓がバクバクしてる。夜の間に入れ替わったのだろうか。いや、そんなはずはない。1回目の今日は宮原は俺の向かいのベッドで寝ていたのだから。恐る恐る私の向かいのベッドを覗き込むと、何食わぬ顔で惰眠を貪る宮原の姿があった。その場に立ち尽くした私は底知れない恐怖に包まれる。この部屋に宮原が2人存在する…!もう1度三村のベッドを覗くとやっぱり宮原が寝ている。「人類宮原化計画」というワードが頭に浮かぶ。人類補完計画より普通に怖い。世界の標準語が関西弁になってしまう。地球を揺るがす大事件だ。それは絶対に食い止めなければならない。まずは、現状把握だ。最悪の事態を考えながら上田のベッドを覗くと、彼はM化せずにすやすやと眠っていた。こいつの寝顔でこんなに安心する日が来るとは。まだ三村以外のM化の事例は確認していないが、M化が起きるきっかけが私のタイムリープだったらM化はまだ1人しかいないだろう。これは、「三村原」に話しかけられてもアウトなのだろうか。色々疑問はあるが、一旦避けるべきなのは間違いない。

食堂に降りてみると早起きの人が数人いた。時刻は5時10分。まだ、宮原が起きてくるまで10分ある。早朝練習前の補食のおにぎりを作りに厨房に行くと梶谷がいた。フェリーで北海道に帰ったり、荒川岸辺の雑草を三つ編みにする彼女だが、おにぎりは丁寧にサランラップに包んで作るようだ。その太陽のような笑顔から繰り出される毒が怖面白い。おにぎりには最近は醤油をかけている。これをすると同期の亀山曰く「焼いていない焼きおにぎり」になるのだ。めちゃくちゃ認めたくないのだが、本当に的を射た表現でなんか負けた気分になる。噂をすれば影で、亀山が降りてきた。高身長+猫背&青シャツ+オレンジ短パンが特徴的な彼だが、早朝練習前は特に猫背である。巷では「有酸素能力の高いオタク」と言われている。そしてこの早朝練習前の時間に、私は強力な対宮原の仲間を手に入れた。Jrキャプテンの康誠(こうせい)だ。宮原と同じ学校から来て、二外に中国語を2人とも選択し(ここまでは偶然)、2人とも落単している(必然?)。彼は普段は包容力高く、穏やかだが他に誰もいないときにはお風呂で大音量で音楽を流して男子風呂をディスコに変えている。1回だけディスコに同伴したことがあるが、風呂の壁に反響する『灰色と青』がめっちゃ心に染みたのを覚えている。1回時が巻き戻っていること、そしてT2部屋に宮原が2人いる事実を見せるとをアツく語ったところ、今日1日宮原を康誠がマークしてくれることになったのだ。

早朝練習の前には選手全員がロビーに集まることになっている。いつもは眠たげな雰囲気が漂うこの時間だが、この日は違った。なぜなら、宮原が2人いるのだから。そして片方の宮原は自分が三村であることを強く主張している。私は亀山の影に隠れて様子を伺っていたが、「三村原」の口調はいつも通りだった。フォルムが宮原になるだけでソウルの部分は変わらないらしい。フロアは熱狂し、わったん主将はあんぐりと口を開けている。冷静なたなけん副将の提案でひとまず「三村原」の両ほっぺたに青い養生テープを貼ることで2人の宮原を区別することになった。「三村原」には三村のソウルが入っていて無問題そうなので、彼は特別避けないことにした。当の宮原はみんなに取り囲まれて戸惑いつつもこの状況を楽しんでいるようだ。彼は中高6年科学部という文化部出身で、主にべっこう飴を作っていたらしい。大学に入るまでは運動経験が全くなかった彼だが、エルゴでは底知れぬ根性を見せてくる。産声のようなめちゃくちゃ辛そうな叫び声を上げていて、こちらが心配になるくらいなのに絶対に引くのを止めない。その根性がどこから来ているのかずっと不明だったが、今回の事件でわかった。地球を揺るがすほどの大いなるものから供給されているのだ、と。そしてその大いなるものの影響でこの珍事件が発生してしまっているのだろう。

冬は小艇期間で私と宮原を含む多くの人がシングルスカルで練習を積む。その日の早朝練習もシングルスカルだった。風呂の時間が宮原と被らないように、1番に出艇して真っ先に岸つけした。ここまではパーフェクトだ。まだ宮原は2周くらい残っているはず。船を片付けているとバンチャ帰りの神山姉さんがやってきた。私のことを「りおワールドの住人」と言ってくるが、彼女のワールドの方が私よりも遥かに濃いだろうと密かに思っている。ちなみに、彼女はエルゴのレートを無限に上げることができる。スマホをいじりながら田中りお、もう春だぜ、春なんだぜとかなんとか言ってるなと思ったら再びバンチャしに戻っていった。風呂を3分で終わらせ、爆速で浅野艇庫の2階へ避難。Wi-fiがギリギリ届かないのが玉に瑕だが、おそらくこの場所ならば遁世することが可能だ。シングルは体力を結構使うのでこの時間に寝てレストを取らないと午後練が不味いことになってしまう。人気のなさに落ち着きながら、私は床に倒れ伏した。

起きてまず自分の身がベッドの上にないことにホッとする。時は戻っていない。時計を見ると時刻は11時半だった。結構眠ったことになるが、ちゃんとお昼時に起きるあたりで積み重ねてきた人類の歴史を感じる。この人類の歴史を宮原に塗り替えられては困る。協力者・康誠に宮原が今何をしているのかLINEで聞くと、「T2で玉置浩二の『田園』を歌ってる」と返ってきた。元気そうで何よりだ。康誠に宮原を30分スマブラで引き止めてもらうことにし、その間悠々と昼食をいただくことに決定。食堂に行くと養生テープを貼った「三村原」が先輩方に取り囲まれていた。どうすれば元のフォルムに戻れるのかを議論しているようだ。五十嵐もその輪に加わって笑っている。彼はイメチェンのために立派な髭を生やしている野性味溢れる十条ボーイである。ウェイトと癖が強い印象があるが、自転車の鍵に弟の写真入りキーホルダーをつけるなど弟思いの一面を持つ。今日の昼ごはんはシチューだ。ご飯にシチューをかける文化はここに来て初めて知ったものだが、これがめちゃくちゃに合う。どれだけ急いでいてもシチューは1杯以上おかわりすることを決めている。午後は午前とほぼ同じなこともあって、スムーズに物事が進行した。テキパキしすぎて人との関わりがほぼなかったのが寂しい。午後の会話は永田に「テキパキりお、テリオじゃん」と言われただけだった。あだ名がムネなのだが(むねよしから来ている)自分のプロテインのことをムネテインと呼び、私のプロテインのことをリオテインと呼んでいる。彼の胸板の厚さは東大漕艇部の誇りである。

そんなこんなで、宮原を避け続ける1日は終幕に向かおうとしていた。時刻は夜20時45分。風呂、食事、休養全てで宮原を避けるようにし続けた結果、いつもよりも意識高く動けたような気がする。普段もそんくらいやってくれ。21時になれば消灯時間であるため、皆眠りにつく。そうなってしまえば、あとはさっさと自室の布団に戻って寝るだけだ。私はこの世界を絶望の結末から救ったのだ。ある種の達成感が湧き上がり、疲労で火照った体を包み込む。これが、「ととのう」ということなのか。

ガチャリとドアが開く。私と同様に宮原を避ける同志がきたのだろうか。そう思って、私はアメリカンな挨拶を心の中に用意した。

「お、りおここにおったんか。探したで。スマブラしようや」

意識が急激に闇に飲み込まれていくのを感じる。頭の中を関西弁がぐるんぐるんに回り、酩酊しているかのようにその場に崩れ落ちていく。私はこの世界を救うことはできなかった。時間にしてほんの0コンマ何秒かの世界で思いを馳せる。こいつは消灯してからもスマブラしようとしているのか。1日の私の努力が水の泡になってしまうのか。結局世界は関西弁に支配されてしまうか。計り知れない諦念に囚われ、無力感のまま落ちていく。最後に「宮原が浅野に向かった、きをつ」という康誠からのLINEが目に入り、次の瞬間にはもう明け方のベッドの上にいた。

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