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I’m back to the lovely fools.

どうもみなさんこんにちは、2年スタッフの竹熊宏輝です。

色々あって、今年の京大戦から今まで退部していました。そして今月から正式にスタッフとして復帰したということで、ブログにこれまでの期間で経験したことや考えたことをダラダラ書いていきます。

ちなみにとても長いです。読みたくなければ読まなくて結構です。できる限りボート部に還元する形で書いていきますが、私的なことが多いかと思います。
(たぶん知り合いしか読まないので丁寧語やめたい)

・退部している間にしてきたこと

まずはモスクワと中国に1人で行ってきたことですね。この経験が一番多くのことを考えさせられました。

モスクワではワールドカップを見てきたのですが、そこでは
①多くの人を動員する(企業ブースの誘致などを含めて)
②セキュリティチェックの厳重さ
③会場全体における画一的なサービスの提供
④インフラの整備
⑤ITによる身元の保証
が感覚的に理解することができました。2020年に学連副理事長を務めるときに少しは活かせるのではないかと思っています。まぁ規模も人気も比較にならないですけどね。
東京オリンピックはおそらく大変なことになると思いますが、少しでも海外に日本が良い印象を与えられるよう努力することは大切かと思います。期待はしないほうがいいと思いますよ。

また、中国では企業や人々の生活を見てばかりいました。観光要所は巡りましたが、参考になりませんでした。(中国は何度も支配階級の人々が変わり、その度に暮らしが激変して今に至っている。国の権力が強いのは当たり前。)
ITに関して言えば、スマホ決済しか使っていないのはもちろんですが、どうやらアプリによってその人の能力値が計測されてたりなんてこともあるようです。国が主導していることもあって日本よりはるかに進んでいる印象でした。
他にも中国では年代ごとに性格が全く違っていて、中年くらいの人の方が若い人よりも上昇欲求が強かったです。図々しいというか、豊かになりたい感じが全身から出ていました。確かに日本の現代っ子も無気力な感じがありますよね。漕艇部も少しずつそうなってきていて怖いです。何かを渇望しないと人は動かない。

海外は時に多くのことを教えてくれると思います。日本の良いところや悪いところはもちろんですが、日々の生活の当たり前だと思っていたものが違って見えたりします。日本人(特に東大生)は手続き主義になりがちで、なぜそうする必要があるのかを理解しようとしない。伝統に固執するのは良い加減やめましょう。僕たちは学生ですよ。漕艇部内では好き勝手やりましょうよ。現役にしか分からないこともある。

次は免許を取ったことでしょうか。運転というのは誰にでもできることですが、それがゆえに差が如実に現れるように思います。安全確認や自己点検など。まさに漕艇部におけるスタッフの日常のようだと思います。
日々の生活でも、それこそご飯作りでも掃除でもビデオでも、手を抜こうと思えばいくらでも抜ける。漕手はきついけどスタッフは楽。
本当にそうでしょうか?
その認識がいまの現状を反映しているように感じます。スタッフこそ、探す気さえあれば、仕事が無限にある。もちろん日々の業務もそれなりに大変で、それでも神は細部に宿る、ということを忘れずにいたい。

しかし、判断や動くのが鈍いと、日々の業務しか出来ません。

最後はバイトを始めたことでしょうか。お恥ずかしい話で、今までバイトをしたことがありませんでした。申し訳ないです。
本当にいろんな人と接したり、勉強を教えたりしています。日本、それこそ東京だけでもいろんな人がいる。そして、バイトで金を稼ぐのって思ったよりも難しい。何より、努力があまり反映されない。
・・・艇庫費がこの有様であっても、艇庫でこんなに美味しいご飯が食べれることは奇跡ですね。

・なぜ戻ってきたのか
漕艇部はシンプルにすごいと思います。日の出前に起きてボートを漕ぎ、大学に行って勉強して、帰ってきてまた練習をする。プロになるわけでもないのに、そんな生活をしている大学生は滅多に居ません。それは僕の価値観では尊敬に値します。素晴らしい自己犠牲。また、馬鹿とも言います。(ネタですよ?)
しかし、いざ部活を離れると、やっぱりアホらしくなるんですよね。なんでこんなことしているんだ?ってね。俺には無限の選択肢がある。勉強の間に必死にバイトして海外に行ったり、自分のしたい学問を極めてみたり。ゲームでタイトルを取ったり。やりたいことはなんでもできる、人生最後の機会だから・・・。そんな感じのことを言って、部を去って行った同期のことを思い出しますね。
もちろんそれも分かります。ボートは動きとしては反復運動でしかなく、映像も他のスポーツと比べれば映えないので、自分で価値や意味を見出せず、その上勝てなければ漕手やコックス、スタッフは続けられない。
ただ、その上で必死に漕いでいる同期を思い浮かべると、そっちの方が魅力的だしとても応援したくなる。そんな仲間達と頑張りたい。
自分の貴重な時間と金をつぎ込んでまで、自分が価値を見出したものに全力を注ぐ。そんな馬鹿達が俺は大好きです。
だから彼らのためなら何でもできる。そう感じています。

・これからのこと
多くの先輩が悩み苦しみ、それでもオールを握り漕いできた艇庫に戻ってこれて嬉しく思います。
そしてありがたいことに、復帰してすぐに京大戦幹事と学連に駆り出されることになります。仕事が与えられることはとても名誉なことだと、僕は考えています。

それはそれとして良いんですが、やはり今の漕艇部の運営はいまいちはっきり見えてこない。何を目的とするのか。その明確な指針がないと、何をしようにも手が付けられない。僕はそう感じています。どのような組織に属するにしろ、そこで何かを創り上げて、まだ見ぬ後輩たちのために残していきたい。その過程で、部内で統一した確固たる理念や指針がないと、何をしても個人の価値観に留まってしまいます。
昔は漕いで勝てば良かったのか?それとも監督がしっかり核心を教えていたのか。
やはり現状の最大の問題は、基本的にマニュアルがないこと。明文化されていないこと。ご飯作りにしろ、掃除にしろ、ビデオにしろ、明確な目的とそれに向けた方法がしっかりと代ごとに伝わってきていない。
新歓をするにしてもやはりどのような漕艇部にしていくのかを始めに議論しなくては、学生を勧誘しようがない。そして初めて予算との兼ね合いが議論できる。
こういったことは、昔から暗黙知のように習うより慣れろで踏襲されてきたのか、どこかで断絶したのか。それについて議論するような場所や機会もない。
(大会運営の資料の場所がどこにあって、この機材がどこにあって、などなど。先輩に聞けばもちろん教えてくれるのでしょうが、その度に先輩を煩わせたりOBに怒られたりもしています。迷惑をかけることは多いと思いますが、笑って許してください。)
これからいくつかの伝統を変えてしまうことも考えていますし、スタッフが今よりも自由に漕艇部に貢献できるようにしようと思っていますが、先輩達が積み上げてきた理念やユニークな慣習(懇親会の時のとか)は必ず明文化して遺しておきたいです。

最後に、
「たとえ全力で漕いだ一本が泡となって消えようとも、流した汗と、かけた情熱は、ポンドの底に永遠の生き続けるものと信じる」
僕は勝利を信じきれなかったけど、漕手のみんなには自分の勝利を信じて欲しい。

終わりです、また次のブログで。ばいばい。

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