三浦です。
今週はボートブログ担当です。以前好きなクラシックミュージックについて書いた人がいましたが、まさしくロウイングこそミュージックと思います。特にエイトは多分にクラシカルでシンフォニカルです。有能な指揮者(コックス)、優れたコンマス(整調)、心の通った演者がそろえば必ず船は飛ぶように走るのです。
艇上で8人なら8人、4人なら4人の漕ぎ手の動きがピタッとあって船がすーっと滑る、あの感覚(とあるスペイン人が書いていましたね)。あれはまさしく、交響曲の名演奏を聴いた時のぞくぞく感にくりそつ。8人をまとめるのは一番前に位置するコックス。自分の理想、作曲家の理想を理解して、その旋律から外れる者は優しく(あるいは唾を飛ばしながら)たしなめます。OBでコックスをやっていたある方の話では、「慣れてくると、目をつむっていても今誰がこの漕ぎをしたのかが体で分かる」のだそうで、指揮者になるための試験に「一人だけわざと間違えるのを聴き分けられるか」というのがあるというのと相似です。熱い情熱と冷静な観察眼に裏打ちされた、冷徹無比でいて鼓舞されるコール。しびれますね。
なしフォア(コックスがいない四人乗りの艇)であれば指揮者なしで、ジャズセッションの趣です。名演奏は聴いてる方もそりゃ楽しいだろうけど、演奏してる側が一番楽しい。ダブルやなしペアはこじんまりと室内楽という感じですし、つきペアでは俄然指揮者というよりピアノトリオのイメージ。コックスも漕手と同じ目線で関わってる感じがします。
うちのクルーキャップO田くんいわく、漕艇とは「表現」であり、「いいフレーズ」が多い乗艇が優れたモーションなのだそうです。漕艇は芸術なのですね。
世間に愛好家はあまたいるはずですが、その辺歩いてる人は話が通じないことの方が多いので口を閉ざします。コンサートホールにはタキシードで行かにゃ、とかこれが話題に上がったときには真面目な顔しなきゃ、みたいなことを思ってる人もいます。楽しんでる人、単純に好きな人には理解できないことです。嬉々としてながなが話してると真面目な顔したままウザがられます。
あまり理解も賛同もしてくれる人が少なく、また声を大にして言うことでもないのですが、ちんたら書いてしまいました。
ただ、自分の目標って何だろうとよくよく考えたとき、究極的には勝つことよりも、実はほかの奴らと楽しく漕ぎたいというのがあるように思えてきたのです。ナイスセッション、つってハイタッチして帰って寝る、みたいな。そのために積み上げるべきことが山のようにあります。
「優れた遠漕は、すべての人を漕手に変える」
あるとき友人から聞いた名言です。いいですね。
明日もいい表現、しちゃいますか。
