コンテンツへスキップ

ザ・トール・キング・クラブ

 使い古しの、すっかり薄く丸くなってしまった石鹸を見て、ちょっと待ってくれという気分になってみたりすることが、多分、だれにでもあるはずだ。日々、こすられ削られていくうちに、新しくフレッシュであった時の姿はみるみる失われていく。まるで――と、そこで思ってもいい。これじゃまるで自分のようではないか、と。日常的に、あまりに日常的に日々を生きすぎてしまうなかで、ぼくらはおどろくほど丸くなり、うすっぺらくなっている。そのことのおぞましいまでの恐ろしさにふと気づき、地球の自転を止めるようにして自らの人生を逆回転させてみようと思うのはナンセンスなのだろうか。周囲の人たちは昨日までと同じように歩いていく。それに逆らうように立ち止まってみる。それだけで、人は一匹狼だろう。

 一人のアマチュア・スポーツマンがいた。

(山際淳司 (1981) 『スローカーブを、もう一球』 角川文庫 p.62)
 平昌オリンピックが幕を閉じた。今回も日本の選手の大活躍してくれて、僕もいくつかの競技をテレビで観戦しとても勇気をもらった。
 ‎
 ‎女子アイスホッケーでの北朝鮮と韓国の合同チームや、極寒の開会式に半裸で登場したトンガ代表、史上初のスキーとスノーボードの二刀流など、競技外でもたくさんの話題があったが、その中でも驚いたのが女子スキーハーフパイプに出場したエリザベス・マリアン・スウェイニー選手。何の技も繰り出さず、最下位。なんとオリンピック出場それ自体が目的であり、選手層の薄い競技に目をつけて国籍まで変更、ルールの穴を突くような形でオリンピアンになったのだ。
 ‎
 ‎もちろん議論を呼んだが、「オリンピックは出場することに意義がある」とも誰かが言っていた。今回、選手層が薄いということでスキーハーフパイプが選ばれたわけだけれど、界隈には周知の通り日本におけるボートも同じような状況だ。競技人口が少なく、ポテンシャルがあればすぐにトップレベルになれるよという謳い文句で今も若者が誘い込まれている。
 ‎
 ‎かつてシングルスカルでオリンピックの代表に選ばれた津田真男を知っているだろうか。彼もオリンピック出場のために競技を選んだ一人だ。冒頭の引用は津田を描いた山際淳司のスポーツノンフィクション短編の始まりの部分である。某世界一超エリート高校を卒業するも東大受験に3度失敗、某三流大学に入学後も麻雀に明け暮れ留年の危機にあった23歳の彼は突然、オリンピックで金メダルを取ることを思いついてしまった。金メダルをとればなんとなくたるんだ人生が変わると思ったようだ。その種目に悩んだ末に層の薄そうなボートが選ばれた。大学のボート部に入れば下っ端からやらされるので、たった一人のボートクラブ「ザ・トール・キング・クラブ」を立ち上げ、コーチも付けず就職した会社もクビになりアルバイトで生計を立てながら猛烈な練習に励む。馬鹿げた思いつきにも、一度思い込んだら止まらなかった。たった一年半後のモントリオールオリンピックを目指し全日本3位・お花見レガッタ優勝という成績を残すもエイトしか派遣されず。それでもめげない。国内大会18連勝などの末に遂には次のモスクワオリンピックの代表の座を勝ち取ってしまった。
 ‎だが、日本政府がボイコットを決め、出場すら叶わずに結局ボートも辞めた。
 そろそろ入試が終わり新勧シーズンが始まる。自分もなんとなく人と違うことをしてみたい、とこの部に入ったことを思い出す。
 最後にもう一ヶ所引用。
 ‎決算はついたのだろうか。彼が費やした青春時代という時間の中から果実は生み出されたのだろうか。一つのことに賭けたのだから、彼の青春はそれなりに美しかったのだ、などとはいえないだろう。
 (p.84)
 グサッとくる(共感)(爆発)(死亡)。
 ‎
坂本

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP