こんばんは。
四年漕手の岡です。
京大戦が終わりました。
応援して下さった方々、
いいレースができるように最初から最後までサポートしてくださった方々、
本当にありがとうございました。
この場を借りて御礼申し上げます。
対校女子クォドルプルは、
約24秒差で京大に敗北という結果に終わりました。
24秒というのはとても長い時間で、
どんな幸運や不運が重なったとしても覆すことのできない圧倒的な差です。
このオフ期間の間、
全日本選手権のビデオや去年のインカレ最終日のレースの映像などを見ていました。
やっぱり、一位でゴールしたクルーは本当にうれしそうでした。
私は表現を遠まわしにしたり回りくどくしたりするのが得意ですが、
一位でゴールしたクルーの様子には
「うれしそう」
という言葉しか浮かんできませんでした。
もし自分たちが京大戦で勝っていたら、
きっとすごくうれしかったんだろうと思いました。
もし勝っていたら、
東大の女子が勝つなんて予想も期待もしていなかった人の鼻をあかせて
とても気分が良かったんだろうと思いました。
もし勝っていたら、
戸田の艇庫に帰ってきた時、
みんなに「勝ててよかった」と言えたんだろうと思いました。
もし勝っていたら、
お世話になった、なっているたくさんの方々への恩返しに
少しはなったんだろうと思いました。
「もし勝っていたら」ということを考えてもどうしようもありませんが、
やはり勝ちたかったと思いました。
さて
「勝ちたかった」というのは、
レースに負けたら誰もが抱く感想ですが、
大切なのはその先です。
勝ちたい、勝ちたくない、でいえば
それはみんな勝ちたいに決まっているので、
大事なのは
「どれくらい勝ちたいと思っているか」です。
「世界中の人を不幸にしてでも勝ちたい」
「自分の寿命があと一日になったとしても勝ちたい」
「恋人と別れてでも勝ちたい」
「毎日吐いてでも勝ちたい」
「退学になったとしても勝ちたい」
「どれくらい勝ちたいか」なんて
なかなか言葉で表現できるものではありませんが、
一つ尺度のようなものがあるとすれば、
ボートにおける「勝ちたい」という思いの強さは、
「毎日どれだけ良い練習を積んでいるか」ではかれるという面があるような気がします。
良い練習を積んでいそうな人は本当に勝ちたそうに見えるし、
そこまで良い練習をしていなさそうな人は「そこまで」勝ちたいわけじゃないんだろうな、
とやはり思ってしまいます。
(もちろん良い練習をできる/できないことにはいろいろな要素が絡んでくるので、一概に言える話ではありませんが)
インカレまであと少しですが、
勝ちたいと思った自分に誠実であるように、
これから毎日を過ごしていきたいと思います。
そして最後くらい「勝ってうれしい」という気持をクルーと一緒に味わいたいですし、
この東大ボート部の全員がそういう気持を味わえるようなインカレにしたいです。
今後とも、応援、御支援のほどよろしくお願い致します。
四年漕手
岡