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漫画「DEATH NOTE」に見る、好敵手とスリルの存在

※漫画「DEATH NOTE」のネタバレがあります。御注意ください。

こんにちは。

最近、ずっと気になっていたジャンプ漫画「DEATH NOTE」を読みました。

「このノートに名前を書かれた人間は死ぬ」という死神の「デスノート」を巡って、ノートを拾った主人公・月(ライト)と、世界一の探偵・Lとの頭脳戦を描いた傑作です。

一昔前に大分話題になった作品なので、ご存知の方も多いのではないかと思います。

作品は二部構成になっており、

第一部の最後で、Lは月の策略により死んでしまうのですが、

後に「Lの後継者」なるものが現れ、

第二部では、月は彼らを相手に戦いを繰り広げていくことになります。

ですが、第二部の月は、第一部のときと比べて、明らかに「冴え」が欠けています。

行き当たりばったりの作戦が多く、第一部で見せた、感動的とすらいえる悪知恵は影をひそめてしまっています。

読んでいても、第一部の方がスリルがあって面白かったです。

では何故、第二部の月には冴えが欠けていたのか?

それはおそらく、Lという最高のライバルがいなくなってしまったことが大きいのでしょう。

第一部で、月はLを最大の敵と認識する一方で、その推理力を明らかに認めています。

月は、Lの捜査に協力するという名目で、常にLのそばで彼を観察し、最も近い距離でLと「勝負」していました。

そして、月は自分の野望のために、何が何でもLに勝たなければなりませんでした。

ですが、第二部の月は、Lの後継者を「お前はL以下だ」と決めつけており(確かにそれは正しくはあるのですが)、ライバルという認識はしていないように見えます。

Lの後継者は、月にとって「勝って当たり前」の相手に過ぎませんでした。

第一部の月は、Lという存在がいたからこそ、完璧になることができたわけです。

つまり何が言いたいのかといいますと、

今更言うまでもないことだとは思いますが、

何をするにしても、ライバル、つまり、

自分に匹敵する力をもつ、

「何が何でも勝たなければならない相手」

とは有り難いものだということです。

冬場は単調な毎日になりがちですが、

東大内にでも他大にでも、

漕手でもコックスでもマネージャーでも、

「何が何でも勝たなければならない相手」

を設定することで、

デスノート第一部の月のように、刺激的でスリリングな生活を送ることができそうな気がします。

今年は、わくわくとスリルのある冬に、

更に言うならば、東大が戸田にスリルをもたらす冬にしたいと思います。


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