お久しぶりです。
雪印の「さけるチーズ」が、かつて自分にとって至上の食べ物だったことを思い出していました。
二年漕手の岡です。
眞鍋が艇の名前について書いていましたが、
私が現在使わせていただいているスカルの艇名は
「荒幡」
です。
今のところ四杯ある女子スカルの名前は
forte
vega
sirius
荒幡
ですが、
この中で一つ好きなのを選べって言われたら、
そりゃもう「荒幡」しかないでしょう。
洒落た星の名前もいいかもしれませんが、
そういうのは、何か「乙女の感傷」って感じがして私はそこまで好きではありません。
その点「荒幡」は潔いですよね。
「あらはた」って、母音がアの音を四つ並べてきたところもナイスです。
語感がよろしい。
そして「荒幡」の一番良いところは何かといえば、
ずばり、
艇に艇名が書かれていないところです。
荒幡には「荒幡」と書かれていないのです。
知らない人が見たら、荒幡はただの「白いシングルスカル」でしかないわけです。
決して自らの名をひけらかさない控え目な態度。
人を食ったような匿名性。
没個性的でありながらどこか捻くれたたたずまい。
ハルは傷だらけ、
雑に塗られた塗料のせいで表面の凹凸も激しい、
とかく貧乏くさい姿形ですが、
愛すべき艇だと思います。
というわけで、
「俺が荒幡を最強のスカルにしてみせる」
という決意をもって、
日々荒幡に乗っています。
さて、瀬田川での京大戦が終わって、早くも二週間が経とうとしています。
応援に来てくださったOB・OGの皆様、京大戦に向けてずっとサポートしてくださったコーチ・マネージャーの皆様、本当にありがとうございました。
瀬田での練習は楽しかったです。
特に、川を行く遊覧船と航路がかぶってひかれそうになり、
結果的に遊覧船と並べてレースペースを漕ぐことになり、
挙句
「抜かされそうです! 速いですね! がんばってください!」
と
遊覧船のガイドさん(?)に実況中継をされたのがとても良い思い出です。
しかしレースの結果は惨敗でした。
京大クルーには急遽代打に駆り出されたOGの方も乗っていたのに、
何で毎日同じクルーで練習してきたこっちが負けなきゃならないんだ?
と、終わったときは、悔しいを通り越してどこか物悲しい気分になり、
道端で出会ったナメクジと戯れたりして心の慰めとしていましたが、
今は
それだけ東大クルーには実力がなかった
という一点を頭の中に留めています。
ではどういう点で実力がなかったのか?
ということについては、数え上げればきりがありませんが、
ここでは、体力とか技術面はとりあえず置いておくことにして、あえて
「意思伝達の問題」について考えてみようと思います。
京大戦期から最近にかけて、コミュニケーションについて考えることが何度かありました。
良いコミュニケーション
=クルーの雰囲気を良くするコミュニケーション、実のある練習ができるようにするコミュニケーション、艇速をあげるのに役立つコミュニケーション、など
はいかにしてなされるべきか?
ここでは、とりあえず「言葉」を介したコミュニケーションのみについて考えることにします。
(言葉を介さないコミュニケーションの重要性についても考えたいところですが、それはまた後日に譲ります)
自分に関して言えば、私はあまり「言葉そのもの」を信用したことはありません。
言葉だけならどんなことだって言えてしまうからです。
青い空を見て「今日も空が黄色いね」と言うことはできるし、
不細工な人に向かって「いつ見ても君は可愛いね」と言うこともできるし、
ナメクジを踏みつけて「僕はこの世がナメクジであふれかえればいいと思う」と言うこともできるし、
地面に足をつけて立ちながら「もう世界は滅びてしまった」と言うことだってできます。
それこそ無尽蔵に、どんなことでも言えてしまう言葉。
言葉を、「相手に何かを伝えるツール」として考えたときに、
そこに本当に伝えたい意味を乗せるのは至極難しい
というより、ある意味では不可能である
と思います。
同時に、言葉は、
物事を区切り、規定し、囲い、決めつけるものです。
たとえば、
嬉しい、悲しい、悔しい、淋しい、など、
人の感情を表す言葉はいくつかありますが、
感情を、そんな有限個しかない言葉の組み合わせで表現しようというのにはどう考えても無理があります。
自分の感情をぴったり表す言葉というのは存在しようがなくて、
人は「だいたい今の感情に一番近い言葉」を使うことで妥協するしかありません。
そのような、曖昧で、不完全な「言葉」を使って、
人に自分の考えていることを伝える、またそれを受け取る
というのはとても難しい作業です。
コミュニケーションは難しい、
「良い」コミュニケーションはもっと難しい。
しかし、ボートが「究極のチームスポーツ」であり、
また東大漕艇部がチームとして目標を目指している以上、
コミュニケーションは決して欠かせません。
超能力者でもない限り、他人が何を感じ、考えているのかを知るのには、言葉を使ったコミュニケーションが一番手っ取り早いからです。
良いコミュニケーションがとれる、というのは、クルー、あるいはチームの、紛れもない実力だと思います。
では良いコミュニケーションのためにには何が必要か?
これに対しては色々と答えがあると思いますが、
ここではとりあえず
「感性」
を挙げてみたいと思います。
他人から発された不完全な言葉から、
相手がそこに乗せた意味を読み取るのには、
感性を磨くしかないと思います。
また、相手がわかりやすいような、
適切な言葉を選ぶというのにも、
感性が大事だと思います。
言葉に対する、その言葉が表したがっている物事を感じ取る感性です。
良いコミュニケーションが作れる人は、多分良い感性を持っている人だと思います。
日々少しでも感性を磨き続けて、
実力のあるチームを作っていきたいものだ、と思います。
以上、
久々のブログでつい調子に乗ってしまった二年漕手の岡が
自戒を込めてお送りしました。