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勝負と責任

こんばんは。一年の岡です。

本日、三月十日は東京大学前期試験の合格発表日でした。

というわけで今日、早朝練習が終わった後、勇ましいボート部員達は疲れた身体を奮い立たせ、そろって本郷キャンパスへ繰り出し、見事合格した高校生を探し出しては、一緒に記念撮影をしてきました。

前期試験の合格発表……

何故か多い親子連れ……

血眼になって合格者を探す筋肉隆々のお兄さん達……

見せびらかすために提げているようにしか見えない「生協袋(=合格者の証)」……

そんなものを眺めていると、何だかとても物悲しい気分になりました。

昨日までは皆同じだった「東大受験生」が、今ここで、この場所で、はっきりと二つに分けられている。

「合格者」

「不合格者」。

その区分はとても明確で、これ以上ないくらいはっきりとしていて、その間に何かが入り込む余地はない。

あと0.1点で受かったのにという人も、その0.1点が足りなかった、という、ただそれっぽちのことで「不合格者」。

さんざん怠けて勉強してこなかった人でも、試験当日でたまたま見たことある問題が出てすらすら解けた、という、ただそれっぽちのことで「合格者」。

なんてシビアな世界なのだろう。

なんて世の中は不公平にできているのだろう。

たった一回ぽっきりのテストの結果で人を切り捨てる、そのやり方が間違っていると批判する気はありませんが、なんというか、本当に厳しい世界だなあと思いました。

私は実は前期試験に落ち、後期試験でぎりぎり拾われた者なので、

今日は「落ちた人」(正確にいえば「落ちたであろう人」。ぱっと見で合格者・不合格者を見分けるのはなかなか難しかった)の方にどうしても目が行きました。

あの人は今何を思っているのだろう?

「くそー、もっと勉強しておけば良かったぜ」と後悔している?

「仕方ねえ、人生そんなもんさ、はは」と諦めている?

「俺はやるぜ! 赤門にかじりついてでも後期で受かってやるぜ! 待ってろよ東大!」と早くも気持を切り換えている?

「もう今地球よ滅びよ」となげやりになっている?

落ちた人の気持ち、選ばれなかった人の気持ち、切り落とされた人の気持ち。

人が人を選びとる、一部のものだけ拾い上げてあとは全部切り落とす、そんなことが常に行われているようなこの世の中で、そうした「敗者」の気持ちだけは、いつも忘れないようにしたいものだと思います。

特に「勝者」の側に立った人間は。

自分が何を蹴落として、どれだけの人を踏み台にしてこの場所に立っているのか。

そこから生まれる責任はどれくらい重いのか。

無論、そうしていちいち「勝者」が「敗者」のことを振り返っているわけにはいかないのでしょうが、「勝った者としての責任」はいつも忘れないようにしなければならないのではないか、とは思います。

蹴落とされたのは蹴落とされる方が悪い、負けるのはそれだけ努力が足りなかったからだ、とする意見もあるでしょうが、

でも、「勝負」というものが不確定要素だらけで、それまでの努力を全て反映してくれるわけじゃない、ということを考えれば、

たまには振り返ることも必要ではなかろうかと思えます。

振り返られた側としてはあまり良い気持はしないかもしれませんが、全く無視されるよりはまし……でしょうか。

いずれにしても敗者は辛い思いを舐めるしかないという気がします。

はい、また例によってよく言いたいことのわからない文章になってしまいましたが、まとめるとすれば

・勝負は極めてシビア

・ゆえに勝ちに責任を持て

・さらに言うなら、責任を持てるような勝ち方を心掛けろ(つまり、勝ちに至るまでの努力を心掛けろ)

といったところでしょうか。

責任感のない勝者がのさばっているような世の中は、きっとそんなに良いものにはならないことでしょう……。

そしてそんな「勝者」は、いつまでも勝ち続けることはできないでしょう……。

と、そんなようなことを、三月とは思えない寒空の下で考えていないこともない岡でした。

今日は実に寒かったですね。

追伸

せっかくの春休み企画、「元気のでる音楽」について熱く語ろうと思っていたのですが、語ろうと思っていた音楽の歌詞カードを艇庫に忘れるなどのハプニングがあったため(今これは自宅で書いています)、今回はとりやめさせていただきました。

企画を無視するような形になってしまってすみません……!

次のブログあたりで語らせていただくかもしれませんがご了承ください。

追伸2

記事を短くまとめることに成功しました……何だかめでたいです。

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