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「元気である」ということについて

こんばんは。

大変御無沙汰していました。一年漕手の岡です。

やっとテストが終わったので、今それなりに幸せな毎日を過ごしています。

何が一番幸せかと言えば、やっぱり好きなだけ寝られることですね。

睡眠欲の深さはJ1(現・一年女子部のねぐら)一だという自負があります。

それにしても、何故睡眠というものはあそこまで快いのだろうか?

それは、たぶん

・特に動かなくてよい

・何も考えなくてよい

という、「何もしなくてよい」という状態が自然のうちに作りだされるからではないか、と思います。

でも、人間、生きるためには動かなくてはならないし、常に物事を考え続けなければなりません。

そう考えると、生きるのってなかなかにしんどい作業ですね。

なので、私は今この瞬間に生きているすべての人に、心から「あなた方は今、とてつもなくしんどい『生きる』ということを平然とやってのけている、素晴らしい生き物だ」と言いたいです。

私にしては珍しい人類愛ですね。

さて最近、東大ボート部の各ブログでは「最近艇庫に元気がないのでは?」という話題が熱いようなので、私もそれに便乗してみようかと思います。

何故、ここでは「元気である」ことが要求されるのか?

それは具体的にどのような意味を持っているのか?

考え出すとなかなかに深いテーマのようでした。

(書くのに何故か凄く時間がかかった……こうして時は浪費されていくんですね)

「元気であるということについて」

艇庫に住んでいると、しばしば、色々な方が、

「元気?」

と聞いてくださいます。

私の答えはそのときの気分次第ですが、だいたいのレパートリーとしては、

「そこそこ」とか「まあまあ」とか「元気がなくはない」とか「相対的には元気な方かもしれない」とか「not so fine」とか、

そんなところです。

要するに、はっきり「はい、私は元気です」的な答えをしたことがないということです。

先日マネブログの方に大原さんも書いてくださっていましたが、私が「元気だ」と答えるときが仮にあるとすれば、それは

「とてつもなく嬉しいこととか楽しいことがあったとき」のみであり、

基本的に根暗な私が何かを「とてつもなく嬉しい/楽しい」と感じることは至極稀(ほぼありえない)であることを考え合わせると、

私が元気であると言えるような瞬間はほぼない、ということになります。

しかしそれで良いのだろうか?

せっかく「元気?」と聞いてくれる人がいるのに、こんな返事ばかりで良いのだろうか?

「元気である」とはどういうことか、その意味をもう一度考え直すべきではないだろうか?

と思いました。

そもそも、何故「元気である」ことが良しとされて、「元気でない」ことが良くないと(一般的には)されているのか?

私が「自分は元気だ」と答える気にならないのは、この疑問に端を発しているような気がします。

何故元気であることが良しとされるのか?

思えば、今我々が住んでいる社会には、特に子供や若い者は「元気でなければならない」という価値観のおしつけがあるように感じます。

小学校の教室には「明るく元気なクラスになろう」みたいなスローガンが掲げられているのが常です。

昔からアウトロー街道をまっしぐらに突き進んできた私は、

「明るい」とか「元気」とかいう言葉が嫌いでした(今は特に嫌いでもありません)。

何故元気でなければいけない?

何故暗く落ち込んでいるのが駄目なのか?

何故人は影より光を愛でたがるのか?

これは私にとって人生最大の疑問の一つと言えるかもしれません。

というわけで、この難問に取り組むべく、「元気であること」と「元気でないこと」のメリット・デメリットをそれぞれ勝手に考えてみることにしました。

(その前に、今更ながらここでの「元気」という言葉を定義しなければなりませんね。

ということで、「元気」で辞書を引いてみました。

「元気」

①心身の活動の源となる力。

②体の調子がよく、健康であること。また、そのさま。

③天地の間にあって、万物生成の根本となる精気。

個人的には③をおしたいところですが、

主にボート部で使われる「元気」は、①②の中間くらいの

「心が健康で、さまざまな活動に前向きに取り組むことができる、傍から見てもはつらつとした状態

(それは、楽しげな会話や声、乗艇中のファイトに満ちた態度などによって表現される)」

くらいの意味だと思うので、これくらいの定義にしておきます。)

ではそれぞれのメリット・デメリットをつらつらと考えていくと……(元気であることのメリット/デメリット≒元気でないことのデメリット/メリットかなあと思ったので、そこらへんはまとめてしまいました)

≪元気であることのメリット(元気でないことのデメリット)

・楽しく盛り上がれる(ここでは、物事を楽しむということは、楽しまないことを常に上回ると仮定する)

・盛り上がることで、気分が上向きになり、少しのことでめげにくくなる 

・俺超爽やかやん!という気分になれる

・周りの人の気持ちも上向きになりやすい(ここでは、元気でいる人を見る方が元気でいない人を見るより好きだという人が多いことを仮定する)

・周りの人をあまり心配させずに済む

≪元気でないことのメリット(元気であることのデメリット)

・エネルギーをあまり消費せずに済む(元気でいるためにはエネルギーが必要、ということを仮定)

・そこで消費しなかったエネルギーを他のことに回せる

・最初から元気がないため、「元気がある状態→元気がない状態」という気分の下降はあまり起こらない

・ダークなオーラにしびれるぜ

・物事の色々な面を深く考えることができる

……等々。

これは全部私が勝手に考えたことなので何とも言えませんが、ざっと見て考えた限りでは、

「元気であること」は、どちらかというと周囲に良い影響を及ぼす

(その代わり自分は疲れる。疲れることが悪いというわけではないですが)

「元気でないこと」は、どちらかというと自分に良い影響を及ぼす

(その代わり周囲との関係は閉ざされがち)

ということが特徴としてあるかなあという気がしてきました。

(あくまでも「どちらかというと」という比較の問題です。一概には決して言えないと思います)

そう考えると、小学校の教室の「明るく元気なクラス」といったスローガンにも少し納得がいきますね。

つまり、あれは「周囲と協調できる社会的な人間」を育成するための文言だったわけです。

恐るべし小学校のたくらみ。

ボートが基本的にチームスポーツであることを考えれば、ボート部では「元気であること」の方が良い、というのは当然といえば当然のことと言えるかもしれません。

チームで勝っていくことを目標にしているなら、一人ひとりが自分の殻にこもって一心に取り組むより、各人が互いに良い影響を及ぼしあっていく方が効率が良いし、おそらく楽しいであろうということは明らかです。

だから皆元気にやろうぜ!などと結論づけるつもりはあまりありませんが(とても私などが言えることではありません……)、その方が部全体としては良い方向に向かえるのではないかという気はします。

と言いつつ、私は全体より個を大切にしなければならないことも多い、と思うので、何とも言い難いところではあります。元気であることが至上の価値を持っているかどうか、ということにも疑問が残ります。

夜も深まってきてだんだんまとまらなくなってきました。

自分でも何が言いたいのかわからなくなってきた……。

とにかく私が言いたかったのは、たぶん「とりあえず楽しくやろうぜ」くらいのことです。

(元気にやる、と楽しくやる、の違いは(違いがあるのかどうかも)皆様の御想像にお任せします)

……ものすごく支離滅裂なことになってしまいました。

読みにくくてすみません。

というわけで今宵はここらで失礼させていただきます。

ありがとうございました。

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