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○○のための○○

院生の本間です。

最近朝の掃除をしていてふっと思ったことを。
「掃除のための掃除をしていないか?」
ちょっとまた掃除(というよりはゴミの片付けや靴箱まわりのサンダルの出しっ放し等)のクォリテイーが下がってきて、個別にちらっと注意したりもするのですが、こんなことを思いました。
なんのために掃除しているのかと言えば、綺麗にするため、綺麗にして快適に暮らすため、合宿生活に支障が出ないようにするため。だけど掃除すること自体が目的になってしまうと、掃除することで満足して、その掃除のクォリテイーが個々の中で問われない気がする。

これはよく一緒に漕いできたメンバーやクルーには言うのだけど、低レートでの練習は別に低レートで上手くなるためにやっているわけではない。低いレートでできるようになった技術等を高いレート、つまりレースで発揮できないと、それまでやってきたことは無駄になる(まだ次がある学年には役立ちますが。無駄にしたくないという心意気がポイント。)もちろん低レートでできないことは高レートでできないから(ABのよく言うセリフ、かな)、低レートで練習するわけです。低レートのための低レートじゃない。なんのために練習しているのか。勝つため。練習のための練習になっていなければいいと思う。

これ、最近の社会(特にホワイトカラー)にもありがち、なんだろうか。仕事のための仕事、仕事作りのための仕事、になっていないだろうか。(なんか、ドラッカーに書いてありそうな…) ボートだけじゃなくて、外に目を向けてみるのも必要だ。その点で、一度社会を経験してから学校に入るのは、結構いいんじゃないかと思います、アメリカの大学はそんなカンジだったなぁ。

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