こんばんは。4年の稲垣です。
先日の全日本選手権で引退しました。4年漕手の…と書くことはもうないんだなぁと思うと、拠り所がなくなったような、宙ぶらりんのような気持ちになります。
女子は東商戦、京大戦、インカレ、全日本と負けてしまいました。また、今年度は漕艇部全体の下の女子部、という考え方に基づき、チャンクルーを勝たせる、勝ちに貢献する、ということも例年以上に目標にしていたため、対校男子も思うように結果を出せなかったことも含めて、責任を感じています。
はっきり目に見える結果を出せなかった今、振り返るのは、良い練習ができていたかどうか、ということです。
良い練習かどうかはいくつか指標がありますが、その一つは人任せにしない姿勢でいられたかどうかだと思います。
人任せにしないことの重要性に気が付き始めたのは、怪我をしてしばらく乗艇やエルゴができなくなったときでした。自分では先の見通しをたてられず、私はただ早く治らないかな、ということをずっと考えて、与えられたメニューをやるだけでした。しばらくして、治ったときに自分が戦力になるために、何かできないのか、とか、もっと自分の体のことをよく見つめよう、とか、主体的に考えられるようになっていきました。
リハビリ期間は、悔しさと不安だらけでしたが、自分はいったい何をやっているんだろう、という虚しさは少し薄れたような気がしました。
怪我だけでなく、そういった色々な経験を経て、いかに自分が自分のことを人任せにしているか、ということを感じてきました。自分の体、自分の漕ぎ方、どれも変えられるのは自分しかいないのに、「自分はもう頑張っているから、あとは誰かうまくいく方法を教えてくれないかなぁ」と周りに期待して、うまくいくようになる日を待っていました。そんな自分の弱さに少しずつ気が付いて、はっきり自覚したのは4年のインカレ期間でした。遅すぎたと思います。
ただ気が付いたおかげで、そのあとの全日本期間は、短かったとはいえ、それまでで1番良いクォドの練習がつめました。
成長できるかできないかの分岐点はいつも自分の目の前にあるということを、身をもって感じました。
目標を達成できなかったので、今はまだいい経験ができた、と思うことはできません。もっと早くできるようになりたかったこと、気付きたかったことを思うと、悔しくなりますし、コーチ、マネージャー、これまで支えてくださった方々に、皆さんのおかげです、と言えないことが申し訳なくなります。そして、自分がもっと早く成長していればもっと艇速が出せたのではないかと思うと、選手の皆、特にクォドのメンバーに申し訳ないです。
ですが、ボート部で学んだ物事への取り組み方は、自分の中にたしかなものとして残りました。得たことをいかせるときがくれば、そのときは今よりボート部の生活がいい思い出になっていると思います。
最後になってしまいましたが、応援してくださった皆様、今まで本当にありがとうございました。
これからはOGとして、後輩を見守っていきたいと思います。