今回ご紹介するのは、官僚、造船会社社長を経て、現在人気旅館の一つである山形座瀧波の経営をなさっている、南浩史先輩です!
自己紹介
1776年に上杉鷹山公により興された日本最古の藩校、米沢興譲館高校を卒業後、理科二類に入学し、農学部農業工学科に進学しました。
東大卒業後は、国家公務員として建設省に入省(経済職)し、結婚をきっかけに大島造船所に。20年間、社長も6年間務めました。2014年から、実家の旅館の再建役となり、現在に至ります。
東大漕艇部に入部された経緯や入部動機についてお聞かせください。
週刊漫画に東大漕艇部の特集があり、それを読んだのがきっかけです。
もともと大学に入ったら とことんスポーツがしたい、と思っていました。当時国立大学(東工大、東北大)がボート競技で良い成績を残していて勢いがあり、自分も結果を残したいと思い、漕艇部に入部しました。
東大漕艇部で思い出に残っていることは何ですか
エイト(漕手8人と舵手1人が乗る船。通常、部内で最も速い漕手が選ばれて乗る。)のメンバー選考に落ちてからのアジア大会で銀メダルを取ったことです。4年生の春、監督やCOXの判断によりエイトのメンバーから降ろされ、その後、インカレにセカンドエイト(部内で二番目に強いクルーで構成されたエイト)のキャプテンとして出漕しました。同期がエイトでユニバーシアード日本代表になったり、インカレ優勝しているのを見て、「なんだかなあ」と。このままパッとしないまま引退するのか、と思っていました。
日本漕艇協会の最強のフォアクルーに、意地で勝った
でも、その年の秋に開催されたアジア大会に向けて日本漕艇協会によりエルゴ(陸上でボートの動きを再現するトレーニング器具)を引かされ、その結果がとても良かったことからアジア大会のフォアの代表候補に選ばれたんですよ。
東大漕艇部からは、自分以外にも、同期の漕手2人がエイトの代表候補として選ばれたのですが、当時の監督の指示で「東大漕艇部の漕ぎ方を外部に盗まれてはいけない」と。東大の漕手4人で舵手なしフォアとして出漕させてくれと日漕(日本漕艇協会)に掛け合ったんですよ。そしたら日漕が怒っちゃって。出漕する舵手なしフォアを決めるための日本予選が開かれ、日漕が最強のトップクルーを当ててきた。そのクルーになんと勝っちゃったんですね。皆に祝福されてうれしかったなあ。ユニバーシアード世界大会優勝の酒巻先輩と並ぶ身長が一番小さい日本代表になれてとても喜んでいました。
最終的に、アジア大会で銀メダルを獲得したのももちろん嬉しかったですが、何より4年間漕ぎ込んできた経験と体格に恵まれていない自分達の意地が結果につながった日本予選の勝利の方が嬉しかったですね。
現在、山形座 瀧波は全国的な人気宿の一つとなっていますが、そこまでに旅館を再建する中で、大事にしていたことや印象的なエピソード、ご苦労をお聞かせください。
人は変えない、切らない
私が旅館を継いだ当時、実家の旅館は事実上倒産しているような状態でした。自分の経営者のポリシーとして、「人は変えない」というのがあります。教育研修などは厳しいが雇用の面では温かいチームでありたい。日頃は優しいが不況になると冷た首を切るチームの対極です。東京から凄腕のスタッフを新たに雇い、元のスタッフを解雇して全く新しい組織として再スタートするのも一つの手法ではありますが、一緒に学び一緒に成長していくことで、真に苦しい時に支え合える関係になれると考えます。以前はお客様単価が1.5万円でしたが、その当時のスタッフと一丸となって学習しサービスクオリティを上げ、今ではお客様単価が4.3万円になりました。
―南先輩は、沢山の事業で成功していらっしゃいますが、その成功の秘訣は何ですか?
新しい価値を、世に問う
公務員や造船所の社長、そして旅館経営を経て感じるのは、チームはリーダー次第ということです。リーダーがチームを鼓舞し、競合相手を研究し、戦略を基に俊敏に行動していけば必ず勝ち目はあります。それはボートでも旅館業でも造船業でも同じことです。
成功するために心がけているのは、主に二つ。
まずは、新しい価値を世に問うこと。例えば、山形座瀧波は、「山形を愛する山形県人による山形のショールームになりたい」がモットーです。ただの高品質な旅館、で終わるのではなく、山形の魅力を社会に問い、山形にこだわった、競合相手よりもオリジナルな、オンリーワンのサービスをお客様に提供することを心がけています。
ー東大漕艇部のスローガンで「ただの東大生で終わるな」というものがある。東大漕艇部も、東大生に新たな価値を提示しているのかもしれない。
次に、高品質な仕事を圧倒的な量でこなすこと。仕事の本質は「質×量」。質が高いだけでは勝てません。質にこだわりつつ、圧倒的な量の仕事、練習をこなすかが重要です。
ボート部時代、自分達は3万キロ、地球を4分の3周ほど漕ぎ込んでいました。その圧倒的な練習量がアジア大会の銀メダル、インカレ優勝につながったと感じています。山形座 瀧波でも、お客さまにワクワクしていただけるよう、ミシュランシェフによる一流の料理、湯守さんが妥協せず守る、水を一滴も加えない「十割源泉」、快適に過ごしていただくためのアットホームな雰囲気、細部までこだわった質の高いサービスを提供できるよう努力しております。
―他に、ボート競技をやっていて良かったと思うことはありますか?
ボート競技はカレッジスポーツの一つで、ビジネスの世界でも漕艇部出身者は多く、部活談義に花を咲かせて繋がりができることもあります。山形座 瀧波にも東大漕艇部出身者が多く来てくださり、大学時代からの絆が今でも続いているのも嬉しいですね。
最後に、今年の新入生や私たち漕艇部員がこれからの部活動や人生で大切にすべきこと、メッセージ、アドバイスなどをお願いいたします。
自分の子供たちにいつも言っているのは“Life is short, Work hard, Enjoy your lives”です。
特に、東大生は将来人の上に立つことが多くなると思います。立場に甘えず “Noblesse oblige”、ノブレスオブリージュの精神で、自分の持っている力を社会に還元し、多くの人を幸せにするような新しい価値を世に提示して、世界を変えるワクワクすることを成し遂げてほしいですね。
ーインタビューの最後、南先輩はこれからの展望を聞かせてくださった
来春にはオーベルジュ(宿泊施設付きのレストラン)のオープンを計画しています。それは、現在山形座で働いてくれている一つ星ミシュランシェフが二つ星をねらうための場所です。山形座瀧波を越える大ヒットを実現させて見せます。
−まだまだ野望は尽きないんですね
いつか山形座瀧波を、小さくとも日本一の旅館にして見せます。造船業や旅館業だけじゃない、全ての産業において、成功して見せますよ。
現在、旅館業以外にも訪問介護事業や蕎麦屋も展開し、まさに山形を愛する山形県人を体現する南先輩。インタビュー中も今考えていらっしゃるアイデアがポンポンと飛び出した。大人になってからも夢を追い成長し続けられる姿に、憧れる。
南先輩、お話を聞かせてくださり、ありがとうございました!