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答えがない問いへの向き合い方

こんにちは、3年スタッフの原本です。
全然ブログ担当でも何でもないんですが、思いついたことがあったので書きます。例によって真面目っぽい話です。

「答えはない問いへの向き合い方」
まず、僕は教育学部の基礎教育学コースに入ってます。正直に言えばこの学部、コースに入ったことにたいした意思はなかったのですが、今は結構自分にピッタリなところなんじゃないかと思ってます(どこにいっても思ってたかもしれませんけどね笑)。

なにが良いかっていうと、答えがない問いへの向き合い方が学べる・訓練できるというところです。以下学部に入って数か月のうっすーい理解で自分の学科のことを書きます。
基礎教育学コースが扱うのは主に教育思想といった分野です。それってなんじゃいっていうと、例えば「良い教育って何?」とか、「そもそも教育ってなに?なんのためにあるの?」ということを扱います。これらには決まった答えがありません。そしてこれは観察や実験によって確認できない未来の事柄です。観察や実験によって確認できるのは過去と現在、そしてせいぜい過去と現在の延長線上に存在する未来の事柄です。ちなみにこれが僕が理系より、文系の学問の方が好きな理由です。ただの偏見ですね。気を悪くしないでください。

まず、答えのない問いに対する答えは、大体の場合、客観的な事実や観察でなくて、人それぞれの価値観(なにを正しいと思うか)に還元されます。僕は答えがない問いに関してそれを、自己・他者ともに意識化するのが重要だと思います。自分の答えはその程度の陳腐なものから生まれ出てていることを自覚し、同時にその答えは自分の価値観の直上に立つ重要なものであることを認識する。そして他人の答えの根底にはその人を形作る価値観があることを認識し、それを尊重する。この二つが、答えのない問いに関して、前に進む議論をする前提だと思うからです。皆さん、自分の意見が何かすごいもの(客観的な事実、歴史、他人の支持、などなど)に支えられていると思っていませんか???根底にあるのは結構陳腐なものですよ。でもいくら陳腐だろうと、それは自分の根幹であって、ないがしろにしてはいけません。他人に対してもそうです。

そして答えがない問いに関して議論するには、答えの論理性のルールを協同で決め、その上で各々の価値観に基づく答えを厳密な論理性に基づいて再構築する必要があります。自然界の摂理とちがってもともと存在するルールがないため、それを僕たちは自力で構築しなければなりません。そして、答えは現在の延長線上でない未来の話であるため、それを担保するのは厳密な論理性のみです。その二つをもとにして、先の前提をもとに他の人と対話をして答えを見つけていきます。この対話で、自分の答えが他人の答えや意見によって、洗練されていきます。このフェーズが現象としては最も重要ですが、ここまで述べた前提なしにはできません。

まとめてしまえば、答えがない問いを考えるときは自分の答えの陳腐さがあることを認め、相手の答えを尊重し、その上でルールを決め、厳密な論理性をもって自分の意見を展開し、対話のなかでより良いものにしていく、ということになります。

「ここから部活の話」
ここまでで言いたいことは大体言っていますが、少し部活の話もします。
部活は基本的には同じ目標をもって集まった人たちです。ただそれだけで十分かというと、その目標のためにすり合わせなきゃいけない色んな事があります。これは各々が各自の価値観をもとに答えをもっている、答えがない問いです。今、部活で僕がやりたいことは上で言ったことのアナロジーです。その前に色々失敗もしました。
1.自分の価値観に基づく論理を「武器」に答えを提示する⇒そのときは僕も上で言ったことをできなかったので、自分の陳腐な価値観に基づいていることもわかっていなかったし、他人の意見も尊重できなかった。そして周りの人たちも同じなので何も進まない。
2.やり取りを抜きにして価値観を押し付けられるように工夫していく⇒もちろん他人の価値観とのすり合わせができていないので失敗する。
などなど。
その上で今は、上で挙げた「答えのない問いに対する向き合い方」を定着させるのが一番かなと思ってます。急がば回れですね。(でもそれってお前の価値観なんじゃないの?と言われたら、まぁ、うん、そうですね。ぐうの音も出ません。)

「ここから個人的な話」
最近、就活というものを、周りの人の3周遅れくらいで始めました。そして自己分析ってのをするんですね。某コンテンツの中で、対人力を測るものがありました、要素は色々あるんですが、自分の数値を言うと(10点満点)、主張力7、否定力8、説得力7、統率力8、傾聴力3、受容力0(!?)、支援力8(意外ですね)、協調力2、でした。内容に関しては大体字面の通りで、要はよく言えば「リーダーシップがある」、悪く言えば「自分の意見で他人の意見を上手く潰すだけ」って感じでしょうか。たしかにそういう傾向があるのは、自覚済みです。なので最近は人の話を引き出すこと、とくにもともとの自分の答えが希薄だったりそれを主張する気があまりない人から答えをどう引き出すかを考えています。
そして僕は組織のなかでどんな存在でありたいかというと、そのようにして対話して得た見地をもとに、「自分発」で「組織のゴール」を生み出し、組織の利益を最大化する存在でありたいと思っています。ちなみに僕は「組織の利益の最大化」が結果的にその組織に属する個人の利益の最大化になると考えています。そのような考え方はあまり好きでない人もいるかもしれないですね。

めちゃめちゃ長くなってしまいました!読んでいる方へのメッセージとしては、「答えがない問いに対する向き合い方」をみんなもっと考えた方がいいんじゃないの?ってことですかね。長文失礼致しました。

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