お久しぶりです。
自宅で完全なる引きこもりと化しました一年の岡です。
年末年始ってやはり人を堕落させますね。
クリスマスも終わってそろそろこの一年も終わろうとしているのだ、などと思うとけだるくなります。
そもそも、「一年は12月31日に終わり、1月1日に始まる」だなんてものは、人間が自らの都合のために考えたばかばかしい「決まり」にすぎないわけです。
そう考えると、色々とどうでも良いような気分になってきます。
まして今はフライの真っただ中。
実は東京出身ということで帰省という楽しみもない私は、ただ布団の上でごろごろしている以外にやることがないわけです。
暖房をかけて少し空気の悪くなった自室の中にいると、もはや「だるい」という言葉しか出てきません。
もともと私はそういう、引きこもり気質というか、やさぐれ体質というか、そうしたタイプの人間なわけですが……。
ボート部に入って少しその気質が改善されたかと思いきや、まったくもってそんなことはありませんでしたね。
改善する気もなかった、というのが確かなところではありますが。
さて、ついこの前の土曜日は久保杯、そして日曜日は追いコンでしたね。
久保杯では我らがspicaが優勝の座をいただきました。
浅野杯・相模湖と、私は常に「負ける側」のクルーにいたわけですが、ここに来てやっと「勝ち」を経験することができました。
自分に疫病神がついているから今まで負けてばかり……というわけではなかった、ということがやっと証明できたわけです。
それは単純に嬉しいことでした。
しかし2000mのレースはやはり酸素が足りなくなる感じで、なかなかきつかったです。
考えてみれば、2000mって長いですよね。
直線の2000mをいつも見ているせいかあまり実感が湧きませんが、あれって長いですよ。
……うん、冷静に考えて、あれは長かった。
でも勝った直後は「あれー、意外と短く感じたなー」なんて思ってしまうのだから人間って都合よくできているもんです。
そしてその翌日は追いコン……
各学年で「出し物」をやるって文化祭みたいじゃないですか!
ということで私は準備の段階からおおいに楽しませていただきました。
何をしたかといえば、15分程度の劇の台本を書かせてもらっただけですが……
高校のときに私は文芸部と演劇部(と軽音楽部)に所属していたので、台本を書くという作業は何だか色々と懐かしかったです。
何か話を作ったり、台詞や文章を考えたりするのは、私のこれまでの人生の中でずっと、「楽しいと思えること」の部類に入っていました。あるいは、それが自分の「本業」といえるものでした。
高校の途中から「本業」にドラムも加わりだしたので微妙なところではありますが、
(そもそも「本業が二つある」っていう言い方が何やらおかしい気もしますが、)
とにかく、台本書きをやっていくうえで、自分が「本業復帰」したような何ともいい気分に浸ることができました。
私の拙い台本につきあってくれた同期の出演者の皆様、ありがとうございました。
しかしそれにしても、脚本家ほど気持ちの良いポジションというものはありませんね。
なぜかというと、
「自分は一切表舞台に出ずにいながら、作品の流れを支配できる」
という立場にあぐらをかいていられるからです。
私は昔から、表には出ずに裏で色々と手を回す、という役割がお気に入りでした。
「頭領」よりも「副長」、「№1」よりも「№2」、「主役」よりも「脇役」、「主旋律」よりも「伴奏(あるいはリズムキープ)」、そして「整調」より「バウ」……
最後のは何かおかしいだろ、という気がしますが、
正直なところ、そういう気持ち(=裏で手を回す、という気持ち)で今までバウに乗っていた、という面も少なからずあると思います。
でも本当にそれで良かったのか?
というわけで、今回は「裏で手を回す」ということについて色々考えていきたいと思います。
もう時間も遅いのでできるだけ短くまとめます……。
「裏で手を回す」
自分は表には出ずに裏で手を回す。
そのことに快感を覚えるのは、何も私だけではないと思います。
むしろそういった人の方が多いのではないでしょうか?
ではなぜ、裏で手を回すことに人は快感を覚えるのか。
それはおそらく、
「目立つのはあいつだが、本当にここを支えてるのは俺なんだぜ」という優越感に浸れる
というところが大きいのではないでしょうか。
陰で支えることを良しとする日本人的文化の影響もあるのでしょうが、
「実は俺が支えてるんだぜ、もし俺がいなくなったらここは総崩れなんだぜー」という、自己満足的な要素がかなりの部分を占めているように思います。
少なくとも私はそうです。
表、あるいは最前線に立って、失敗したときのリスクを背負うよりも、
裏に回って色々操作して、陰で優越感に浸りながらにやついている方がお気楽というものです。
しかし、それは本当に「陰で支える」ことになっているだろうか?
私の場合は、裏に回ることがただの自己満足に終わっているので、とても「陰で支える」なんていう境地には至っていないと思います。
その境地に至るには、失敗したときのリスクを背負う覚悟のようなものを、「表に立つ人」以上に持つことが重要だと思われます。
つまり、「表」に立てない人間に、「裏」の仕事ができるわけないだろ、ということです。
「裏」の人間は、「表」に出ないことを許されているのだから、その分、「表」のことを気遣えなければならない。
そして「表」ができるだけ楽になるように、適切な行動を積み重ねていかなければならない。
それが「裏」の務めというものです。
それができないのは「裏」じゃなく、ただの「出たがらず」ではないかと思います。
先ほど「裏で手を回す、という気持ちでバウに乗っていたという面もある」というようなことを書きましたが、
今考えてきたことからすれば、それは非常に良くないことだったという気がしてきました。
裏で手を回す……つまり自分がきちんと整調に合わせることで艇を速く進める、ということがバウの仕事だとどこかで思って今まで漕いでいましたが、
それはただの「出たがらず」的な精神だったのではないか、と思えてきました。
リズムを刻んだり、舟全体の動きを決めるのはあくまでも整調であって、バウである自分はそれをサポートし、できるだけ整調の負担を減らせるように漕ぐのが第一。
などと言えば、なんかそれっぽく偉そうに聞こえますが、こんな考えは「裏」ではなく「出たがらず」のものですね……主に、舟を動かす責任のようなものを投げ出しているという点で。
裏で手を回したような気になって、いい気分になっていただけで、実際のところ、本物の「裏」には全くなれていませんでした。
簡単にいえば、ただの自己満足で終わっていたということです。
それでは良くない、ということで、
年が明けてからは、
本物の「裏」になる
ことを大きな目標として掲げていきたいと思います。
無論簡単にできることではありませんが、少しずつこの目標に近づいていければと思います。
そしていつか、「裏」世界の頂点に立ってみたいものです。
……それではみなさん、良いお年を。
追伸 引きこもり的な脳で考えたので、文章中の「中二病濃度」が普段よりも高いものとなってしまいました。すみませんでした。