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偶然の出会いが、運命を変えた-二瓶雅樹(1999年入学・漕手・主将)

今回ご紹介するのは、大学院でボートの研究をなさったのち、現在牧場の経営をなさっている、二瓶雅樹先輩です!

自己紹介

新入生の皆様、入学おめでとうございます。二瓶雅樹と申します。福岡県立福岡高等学校を1999年3月に卒業し、東京大学理科一類に入学しました。後期課程は教養学部広域科学科に進学しました。そこでは化学を勉強していましたが、修士課程では工学系研究科環境海洋工学専攻に進学し、競漕用ボートの研究を行いました。

修了後は在学中に知り合った酪農家の後継者の女性と結婚し、私自身も酪農家になり、現在は二瓶牧場の経営主として酪農業を営んでいます。

東大漕艇部に入部された経緯や入部動機についてお聞かせください。

 高校時代は応援部に所属し、様々な運動部の応援に出向いていました。その中で、大学生になったら、自分もスポーツを精一杯やってみたいと思うようになりました。

 大学の入学手続きの後に、様々な部活・サークルの勧誘を受ける中で、漕艇部の先輩方の雰囲気がよく、ボートというスポーツがまだ分からないまま、先輩方に憧れて入部を決意しました。あまり先のことを考えずに行動する性格なので、迷いや不安はあまりなかったと思います。それまで本格的なスポーツはやっていなかったので、基礎体力は新入部員の中でも下のほうだったと思います。なので、最初のころは楽しさよりも苦しさの方が勝っていて、正直「とんでもない部活に入ったな。」と思っていました(笑)。

東大漕艇部での4年間で、心震えた経験を教えてください

ボートを通して自分自身が成長した

最初は先輩方の魅力で入部しましたが、実際にボートを漕いで体力と技術が向上するにしたがって、ボートというスポーツそのものに魅力を感じるようになりました。もちろん「勝ちたい」という思いはありましたが、それと同じくらいに、ボートを通して自分自身が成長することに充実感を感じながら漕いでいたと思います。最高学年では主将としてチームを引っ張る立場でしたが、選手個人としてパフォーマンスを向上させると同時に、「勝てる集団・強い集団とはどんなものか?」ということをいつも考えて生活していました。

様々な成功例を参考にしつつも、スポーツ、ボートの素人集団が4年弱で日本一を目指すというのは、相当難しいミッションです。目標と現実の隔たりをどのようにすれば埋められるのか、常に悩んでいました。

 学部卒業後は大学院に進む予定でしたが、「4年間だけではもったいない、大学院に進学してもボートを続けたい」という思いが次第に大きくなっていました。でもまずは、4年生までの活動に集中して、同期や後輩の皆と最高の結果を出そうと努力しました。ただし、4年生でのレースシーズンでは、東商戦エイト敗北、全日本舵手付きフォア6位、そして最後のレースであるインカレでは、トップクルーを蛇手付きフォアにするという決定を下し、優勝を目標に練習を重ねましたが、結果は準決勝敗北と、最終日にすら進むことができませんでした。

 選手としての実力不足、そして主将としてチームを上手く引っ張ることができなかった不甲斐なさもあり、「ボートが好きなだけでボート部にいるのは都合が良すぎる」と思い、選手としてボートを漕ぐことを一度はあきらめ、選手を引退して学業に専念することにしました。

―そうだったんですね…

 ボート部を引退した後は、「自分の4年間は何だったのか?」と自問自答する日々でした。ボートを漕ぎたい気持ちと、漕ぐ気力がなく情けない気持ちが同時にあり、苦しい毎日を送っていました。

ただ、大学院に進学するタイミングで、「やはり自分を高められる場所は、ボート部しかない」と思い直し、覚悟を決めて再度ボート部に復帰して、漕手として頑張る決意を固めました。

部活引退後も東大大学院でボートの研究をされ、卒業されてからは牧場経営という道を進まれた経緯をお聞かせください。

 当時、東大漕艇部の部長をされていた、木下健教授の研究室(工学系研究科・海洋工学専攻)では、「競漕用ボートの用具(ボート・オール)の改良」が研究テーマの一つとしてありました。学部は教養学部だったのですが、大学院でボートの研究をしたいという気持ちが、大学院でボートを漕ぎたいという気持ちと共にわいてきて、大学院では学科を変えて、木下研究室に入ることができました。

 大学院では、ボートの研究をしながら、選手として毎日ボートを漕ぐことができ、充実した毎日を過ごすことができました。その年のインカレでは、エイトのメンバーとして出漕し、5位という結果を残すことができました。目標には届きませんでしたが、一度はあきらめたボート選手としての道を再び歩んだ結果として、胸を張って受け止めることができました。

大学院1年生の時に出漕したインカレでのエイトの写真。右から二人目が二瓶先輩

その年のインカレ後に、1週間ほどの休みが取れたので、研究室の先輩の故郷である北海道釧路地方に、先輩と私と研究室の同期の3人で旅行に行きました。そして先輩のいとこが酪農をやっているということで、その牧場に酪農体験を兼ねて遊びに行きました。その牧場で後継者として働いていた娘さんが、今の妻ということです。東京に戻ってから少しずつ連絡を取り合うようになり、交際を始めて、東京と北海道という遠距離での交際を続けているうちに、就農と結婚を決意しました。ですので、やや不純な動機で酪農を志したということになります(笑)。

修士課程修了後に二瓶牧場に就農し、同年に結婚をしました。

牧場経営は命と向き合う大変なご職業だと思うのですが、お仕事の中で特に心震えた、印象的なエピソードやご苦労があればお聞かせください

「酪農を始める」とは言ったものの、農学部に在籍していたわけでもなく、仕事の内容についてもあまり理解がなかったので、最初は本当に見習い程度の仕事しかしていなかったように思います。

一般的に「酪農」といって、具体的なイメージがわく人はあまりいないかもしれませんが、日々の牛の世話から、牛のエサとなる牧草の収穫、牛の糞尿の処理など、様々な種類の仕事があります。牛に触るのも初めて、トラクターに乗るのも初めて、何もかもが初めてで、とにかく仕事をしながら必要なことを体で覚えていったという感じです。その中で、初歩的なミスで牛を死なすこともありましたし、牧草収穫中に機械を故障させて、何日も作業できないこともありました。

もちろん今も失敗はしてしまいますが、少しずつ、酪農家として成長しています。

酪農家としての毎日の中で漕艇部でのご経験が今のお仕事にどのように活きているのかお聞かせください。

どんな状況でもベストを発揮する

 ボートと酪農の共通点。一つは、「自然が相手である」ということです。東大漕艇部の主な練習場所は、戸田ボートコースと荒川ですが、遠征などでは他の環境で漕ぐことを楽しむことができます。そして、同じ練習環境であっても、逆風の中で、波の立つ水面の上で重いオールを漕ぐときもありますし、雨の中ビショビショになりながら漕ぐときもあります。冬場では凍えるような寒さの中、体から湯気を出しながら漕ぎます。

静水無風の絶好のコンディションの中、鏡のような水面の上で気持ちよく漕ぐに越したことはありませんが、むしろ本当の実力が出るのは、悪いコンディションの時だと思います。荒れた水面の上で、いかに強度と集中力を高めた練習ができるかが、実際のレースに実力として現れます。

 酪農も同じです。

 私たち酪農家は、牛舎内での牛の世話以外にも、牛のエサとなる牧草の収穫作業も行います。牧草収穫作業は、基本的に天気に左右されます。雨が続けば牧草収穫の作業はストップします。天気が良く収穫作業がスムーズに進んでいても、いきなり天気が急変して牧草を雨にぬらすときもあります。そのような状況でも臨機応変に対応し、作業を行わなければなりません。

 牛の世話も同様です。乳牛は暑さに弱いので、暑い日が続くと牛の体調は悪くなります。冬は雪が降り、牧場周りの除雪も作業に加わります。そのような日々の自然の変化に対応しつつ、牛を健康に飼うことが必要です。「どのようなコンディションでも自分のベストを出す」ということはボート部で学んだことですし、酪農家としての心構えとして、第一に必要なことだと感じています。

一つ一つの作業を丁寧に、繊細に

 もう一つ。「日々の繰り返し」だということです。

 牛の管理に関して言えば、365日同じ作業の繰り返しです。牛のエサをやり、収入源となる牛乳を搾り、牛舎の掃除をする。作業をこなすだけであれば、あまり考えずにやれる仕事です。ただし、牛をより健康に飼いたい、より高品質な牛乳を生産したいという目標があれば、毎日の作業をしながら、牛の出すサインにより気を配らなければなりません。

 そして牛舎以外の作業をスムーズに進めるためにも、少しでも無駄な時間を減らすように、効率よく作業を行わなければなりません。毎日の作業に慣れて、ただ漫然と作業を行うか、しっかりと目標をもって毎日向上し続けられるか、すべては本人次第です。

 ボートも同じです。基本的にはボートの動きも単調です。一回の練習で少なくとも1000回は同じ動きをすることになります。ただし、一つ一つの動きを分解すれば、非常にデリケートな動きの組み合わせですし、その動き一つずつを改善しながら、動き全体をスムーズにつなげていくことは、本当に難しい作業です。もちろん、考えすぎて動きが縮こまってしまうのもよくありませんが、本番のレースで、高い出力でも効率的な漕ぎができるかどうかは、いかに普段の練習で考えて漕ぎ、さらに何度も反復して、それを無意識にできるまで体にしみこませるかが大事です。この点はまさに酪農と同じです。

 大きく2つの点で似たところがありますが、自分が酪農に導かれたのも誰かの仕業ではないかと疑うくらいに、ボートを漕いだ経験が今の生活に役立っています(笑)。

放牧中の牛。二瓶先輩が、一番心休まる風景だという。
最後に、新入生や現在の漕艇部員に向けて、メッセージやアドバイスがあれば、お願いいたします。

 

ボートは究極のチームスポーツだと言われます。私も同感ですが、それと同時に、「圧倒的な個こそ、組織を変えられる」と思っています。チームのために動く前に、まずはチームを変えられるような実力をつけることが大事です。

 2000メートルを高い強度で漕ぎきる体力と技術。これを実現するためには、4年という時間は本当に短いです。振り返ってみれば、現役時代の私は、チームを勝たせるだけの実力がなかったですし、そのための努力も圧倒的に不足していたと思っています。いろいろ格好いいことを言いましたが、現役時代の自分に対しては、正直恥ずかしさしかありません。逆に言えば、過去を恥ずかしく思うことは、ボート部を引退し、酪農家としてのスタートを切ってからも、人間としてずっと成長し続けている証拠だとポジティブに考えています。これからも酪農家として成長し続けたいと思っています。そのきっかけをボート部で与えてもらったと感じています。

 新入生の皆さん、皆様は「学力」という一つの基準で勝ち抜いて東京大学に入学されました。それだけに満足せず、どのようなフィールドでも生き抜くことができる、たくましい人間になってほしいと思います。どんな動機でも構いません。一度はボートを漕いでみてください!もしかしたら人生変わるかもしれませんよ。私みたいに(笑)。

ボートに出会って文字通り、人生が変わった二瓶先輩。大学に入りたての頃には想像もしていなかったような人生だろう。私たちも。「〜をしなければならない」とか「〜するのが当然だ」というような肩肘張った人生を歩むのではなく、風に煽られるボートのように、運命に身を委ねても良いのかもしれない。

二瓶先輩、お話、ありがとうございました!

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