コンテンツへスキップ

その一漕ぎに、思いを込める-勝尾聡(1974年入学・漕手)

今回ご紹介するのは、漕艇部から文藝春秋に入社し、Numberなどの創刊に携わられた、勝尾聡先輩です!

自己紹介

マラソン中のお写真。最近は70歳代でフルマラソン4時間切りに挑戦中だそう。

昭和49年、入学と同時に漕艇部に入部しました。個人的な戦績としては1年夏の浅野杯(入部したばかりの新入生が出漕する大会)は優勝したものの全く結果を残せませんでしたが、同期が昭和52年のインカレでエイト優勝を果たしました。

 昭和53年、文藝春秋に入社。「週刊文春」「スポーツ・グラフィック・ナンバー」「文藝春秋」「マルコポーロ」などの編集部を経て「オール読物」編集長。社長室長、監査役を経て退社。現在は、日本ボート協会・参与、日本ペンクラブ監事、井上ひさし研究会監事などに従事しています。

東大漕艇部に入部された経緯や入部動機についてお聞かせください。

東大漕艇部が強いということは入学前から知っていました。2年も浪人して「せっかく東大に入ったのだから、勝てそうなスポーツをやりたい」とも思っていました。

 もともと文学部志望で、結果的に国史学科に進学しましたが、歴史書や文学作品を読むのが好きで、戦前のロサンゼルス五輪・日本代表クルーを取り上げた『オリンポスの果実』(田中栄光 昭和40年発表)も、前回の東京五輪(昭和39年)の日本代表エイト・ピックアップクルーを題材にした『ペケレットの夏』(虫明亜呂無 昭和48年発表)という作品も読んでいました。

 東京五輪エイトは、東大漕艇部の先輩が日本代表監督として関わっていて、メダル獲得のために各大学から有力選手を選抜して混成クルーを組むことになっていました。日本ボート界では初の試みで、東大からも2名の現役選手が選抜されていました。しかし、有力大学から選抜の経緯が不透明、ボートは単独クルーで挑戦すべきだという反対が続出し、結局、東大は選抜クルーから選手を引き上げ、結局、東京五輪の出場を逃してしまいます。

 そんな歴史も知っていましたし、昭和46年の全日本エイトの優勝も全国紙のスポーツ面で大きく報道されていましたから、「ボートを漕いでオリンピックに出場しよう!」と言う新歓のキャッチフレーズにも現実味があり惹かれました。実際、自分たちがジュニアだった頃(1~2年生の期間)のコーチ陣の中には、昭和46年全日本エイト優勝クルーの先輩、五輪に出場した先輩もいらっしゃいました。

東大漕艇部では漕手、トレーナーなど卒業まで活動されていた勝尾先輩。4年間の部活の中で心震えたことはあったか聞いてみた

一所懸命漕いだか、どうか

 ボートは同じ動作の繰り返しで単純な競技だという半面、科学的な分析も可能なスポーツです。ただ私自身は典型的な文系思考でしょうか、一所懸命練習する中で無駄なことが削ぎ落とされて強くなると思い、とにかく体力をつけ一所懸命漕ぐことしか考えていませんでした。個人的には新人夏の対科レースしか勝てませんでしたが、昭和52年のインカレ・エイトで同期が優勝しています。ジュニア時代のレース後の納会で、「負けてしまってスミマセン」と話した選手に、大先輩が「結果が大事なのではない、一所懸命練習したか、一所懸命漕いだかどうかが重要なんだ」と本気で怒られたことを今でも覚えています。大先輩から見たら、まだまだ本気さが足りなかったのでしょうね。

 他の大学の漕艇部が熱血的で不合理な点も多々ある中で、東大漕艇部は先輩が絶対と言う悪しき体育会的な雰囲気がなく、かつ後輩への指導も細やかで、すごく過ごしやすかったのが記憶に残っています。

 また、東大は遠漕(遠方の目的地までボートを漕いで行くこと)が盛んで、自然の中で漕ぐ経験をたくさんできたのも楽しかったです。やはり、ボート競技の魅力は自然に囲まれた環境で、活動できることですね。

昭和52年、インカレ後、エイト優勝クルーと記念写真。
文藝春秋に就職された経緯やお仕事の話をお聞かせください

 フィクション、ノンフィクションを問わず、活字に触れるのが好きだったので、メディア関連の企業に感心があり、中でも文藝春秋は文学(文藝)作品からジャーナリズム(春秋)まで幅広い出版活動をしていたので、一番入りたい会社でした。当時は就職活動期間が今よりも短く、大学生活のほとんどをボートに捧げていたと言っても過言ではなかったので、第一志望の文藝春秋に受かったのは本当にラッキーでした。

昭和54年、ナンバー創刊編集部の記念写真。

漕艇部で培った体力やコミュニケーション能力、集中力が役立った

 文藝春秋の社員育成は現場主義的で、指導してくれた先輩に恵まれたこともありますが、入社して早いうちからコラムや記事を何本も書かせてもらえました。週刊文春の電車の中吊り広告に、毎週のように自分の書いた記事が入っているという時期もあったくらいです。

 朝早いうちから取材し、深夜まで夜回り。徹夜で特集記事を書く、インタビューや座談会を徹夜で編集したりすると言う生活は、何よりも体力と取材相手・寄稿家とのコミュニケーションが重要で、漕艇部でのトレーニングや先輩と漕いだ経験が役立ちました。また、原稿を期限までに書き終えて印刷会社に持っていかなければならないと言う、時間が逼迫した中で記事を書くには集中力も大切でしたが、そこでもボート競技に集中して取り組んだ経験が役立ちました。

 植村直己さんの遭難を取材するために、マッキンリー(現デナリ。北米最高峰の山)の麓まで行ったこともあります。チャウシェスク大統領が銃殺されたルーマニア革命、ロシア崩壊の前兆となったリトアニア、ロシア崩壊も現地で取材しました。

-文藝春秋でのお仕事とボート競技で共通することなどはありましたか?

その一漕ぎに思いをこめる

 ボート競技と文芸界で通じるのは「手仕事である」ということです。井上ひさしさんや立花隆さんの原稿を読んでいると、今のように検索ツールがない時代に、よくここまで資料を読み込んだ上で、細かい情報を背景にした緻密な文章を書けるなと感心します。

 小説家の中には今でも手書きで原稿を書く作家は多く、手書きで書くからこそ一字一字に想いがこもり、文章に深みが生まれることもあるのだと思います。

 ボートも一本一本選手が自身の体で漕ぐことで艇が進みます。オールが水に入っている距離を1cm伸ばせば、艇速も伸び、日本一に近づくのです。人の手による試行錯誤で完成される、というのはボートも執筆も同じと言えます。

ー会社自慢を一言!

 文藝春秋に入って良かったと思うのは、「すごい人」に出会えたことです。

 例えば、井上ひさしさん。井上さんは一ヶ月に200万円以上もの費用を資料の購入に充てていたと言っていました。野球に関する一本のコラムを彼にお願いしたことがあったのですが、野球に関する資料を山ほど集めてこられて、その一冊一冊にびっしり付箋がついているんですよ。

 たった一本のコラムを書くためだけに沢山の資料を集め全てに目を通した上で書く、というのはやはり天才なのだと思います。

Number 創刊準備号の表紙
最後に、今年の新入生や私たち漕艇部員がこれからの部活動や人生で大切にすべきこと、メッセージ、アドバイスなどをお願いいたします

漕艇部には、普通の大学生活をしていたら出会えないようなすごい人が沢山います。一人で努力するのは大変でも、仲間がいれば日本一を目指すのも夢ではありません。OB・OGも現役部員が力を尽くせるよう、全力で応援しています。

 一所懸命やれば夢は叶う、とは必ずしも言えませんが、一所懸命やればこそ夢を叶えることもでき、また諦めることも可能になるのだと思います。勝ち負け以上に得られるものが東大漕艇部にはあります。そしてそれは社会に出ても役立つものです。

ボート競技をテーマにした優れた作品はフィクション『オリンポスの果実』『ぺケレットの夏』以外にも、ノンフィクションで『栄光と狂気』(D.ハルバースタム)、『たった一人のオリンピック』(山際淳司)などいくつもあります。中でも、『隅田川の向こう側』は是非読んでもらいたい一冊。著者の半藤一利先輩は昭和史研究家として著名ですが、実は昭和27年の全日本選手権エイトで優勝を飾った名選手。当時の合宿所の雰囲気が活き活きと描かれています。是非とも手にとっていただきたいです。

一生懸命やればこそ、夢は叶えることもできるし諦めることもできる。東大受験を終え、新たな挑戦のステージを求めている新入生には、響く言葉では無いだろうか。

今も日本ボート協会の参与をされたり、フルマラソンに参加したりとお忙しく活動なさっている勝尾先輩。

お話を聞かせてくださり、ありがとうございました!

PAGE TOP
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。