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「日本一を目指すということほどチャレンジングなものはない」阪本天志×「ボートは瞬間のセンスというより鍛錬を積むもの」李聖美

(写真左)平成30年度主将 阪本天志(写真右)令和2年度主将 李聖美

【インタビュアー】3年漕手 上條みのり

上條:今日はOBOGで文化部出身であるお二人がなぜボート部に入部したかについてお話を伺いたいと思います、よろしくお願いします。

李:李聖美です。2017年入学でスタッフ志望で入部したんですが最初半年間くらい漕手として活動していてその後スタッフを一年半くらいやって、また漕手に戻りました。最後の1年間は女子部の主将を務めていました。

阪本:阪本天志です。2015年に入学して漕手で入部、2年性の時にジュニアのまとめ役であるジュニアキャプテンをやって4年の時は最高代で主将を務めていました。

上條:お二人とも文化部出身ということなんですが高校時代の部活について教えていただければと思います。

李:高校は軽音楽部でギターを弾いていて、その他にも文化祭や運動会の運営委員会などもやったりしていました。

阪本:初めて知った(笑) 自分も中学・高校と音楽系の部活で、オーケストラでトランペットをやっていました。年2回の定期演奏会と文化祭での演奏会に向けて活動していたんですけど、室内楽団を組んで昼休みに合わせ練習する人もいれば、自治活動の合間に来る人もいたり、みんな自由にやっていました。中学校に入ったばかりの頃は、文芸部やバックギャモン部 (※ボードゲーム) みたいな、変わった部活にも入っていたのだけど、文芸の話題に全くついていけなかったり、合宿が麻雀大会だったりと、散々だったので辞めてしまいました(笑)

(写真)軽音楽部時代の李さん

上條:知らないバックグラウンドが二人ともありますね(笑)次に大学に入ってからなぜスポーツをやろうと思ったのか、なぜボート部に入ろうと思ったのか教えてください。

李:私はスタッフ志望だったのでスポーツしようという気持ちがあったわけではないんですけど中学も高校もあんまり一生懸命にや本気で部活動をやるという感じではなくてそれが嫌だったので、大学では嫌でもコミットせざるをえないところに入って何かひとつ頑張りたいなと思ってました。それで運動部のスタッフを探していた中でボート部の先輩やボート部自体の雰囲気惹かれたのでボート部に入りました。他にも候補はあったんですが、最終的に組織力がしっかりあってその方がスタッフとしてしっかりとした仕事ができそうだなと思ってボート部に決めた感じです。

阪本:長くなってしまうんだけど、自分は大学に入る前からボート部のことはよく知ってた。というのも、父が東大ボート部のOBだったから、幼少期からよく父に連れられて東商戦 (年に1度の東大と一橋の対校レース) を観に来てたんです。まわりの白熱した応援や、勝敗が決した時に会場全体に沸く喜び・悲しみに圧倒されて、この様子は原風景として自分の記憶に残ってる。この人たちは大学生なのに子供みたいに喜んだり泣いたりするんだなと、幼心ながら思ってました。その後受験生になって、ボート部のことはすっかり忘れてたのだけど、東大に入ると今度はテント列で勧誘を受ける立場になった。勧誘してくれた一つ上の先輩は、スーツの上からでもわかるほどに体が鍛えられていたけれど、新入生に対してとても謙虚で、尊敬できる方だなと感じた。そうは言っても、そのときは勧誘を断ったよ。父の時代も含めて、東大ボート部は今まで何度も日本一になっていて、運動部としては記録的な実績を残していたけれど、自分はそんなものと縁がないと考えてたから。それからはいくつか文化系のサークルを見てまわったものの、4年間やるには少し物足りないかも、というものが多くて、なかなか決められずに過ごしてた。行くところもなくなってきたところで、「一度ボート部行ってみたら?」と家族の助言もあって、夕飯くらいおごってもらえるだろうという浅ましい気持ちで体験イベントに行きました(笑)。そこで感じたのは、同期や先輩方の雰囲気が結構自分に合っていること、そして意外にも、同期のほとんどが自分と同じレベルでのスタートだったこと。逆に言えば、今ここにいる人たちは、これからの4年間で本人たちも想像しえない変化を遂げていくんだろうと思った。何となく4年後の自分が想像できるサークルが多かった中で、ボート部は、「ここで4年間過ごしたら自分は一体どうなるんだろう?」と興味がわいてきて、結局その翌日のイベントにも行きました。そこで先輩方の日本一を目指す熱い気持ちに触れたところで、「自分もここに加わりたい」と思って、その日のうちに入部を決めました。

(写真)大学一年時に東日本新人戦4+で3位という戦績を収められました。

 

上條:聖美さんは3年の時に漕手に転向したとのことですがそのきっかけは?

李:最初の半年で漕手を体験してた時はボートの練習自体は楽しかったと思っていて。そのあとスタッフにはなったんだけど3年の春のタイミングで他大の女子部の人とかと結構接する機会があって女子がクルーボートで一緒に練習していたり、食堂とかでわいわいしてるのみて、女子たくさんいるのいいなと思って。当時は同期があんまり女子いなかったし、そのあたりから女子漕手への憧れが出てきたんですよね。自分が主役になって練習するのいいなと思って。それに加えてその年の新勧で女子がたくさん入ってくれたのでいいタイミングだなと思って漕手に転向しました。

(写真)明治との合同練習の様子。李さんのおかげで他大との交流も増えました。

上條:スタッフの経験が漕手になった時に活きたという経験はありましたか?

李:スタッフの立場だと否が応でも部の全体を見渡さなきゃいけないというか、そういう見方が自然と刷り込まれるから、最高代で選手だったときはもしスタッフの経験がなかったら自分よがりというか、選手としての自分の利益しか考えてなかったのかもしれない。スタッフの経験があったからこそ部全体を見渡すという視点ができたのかなと。

上條:ボート部は運動部出身の人が多いと思うんですけど、文化部出身としてハンデを感じたり、逆によかったと思ったりしたことはありますか?

李:体力面に関してはそこまで違いを感じた事は無いです。ボートって、瞬間のセンスと言うよりは鍛錬を積んでいくもので、臨機応変さって言う感じではないので。そういう運動神経は問われなかったのでそういう面で自分がハンデを負っているなとは思わなかった。ただ精神面に関しては結構影響を受けていて、良い意味での体育会的な考え方ー妥当なところで折り合いをつけるんじゃなくて、陳腐な言い方になってしまうけど、高い目標に向かって妥協しない、妥協したくないって言う気持ちだったりとか、めっちゃ苦しくてもやってやるぜって言う気持ちの奮い立たせて方ーとかはすごく影響受けていて、学ばされた感じです。

阪本:多少は覚悟していたけど、自分は上達が遅い方だったから、同じ艇のメンバーの足を引っ張ってしまってるんじゃないかと引け目を感じていた時期はあったね。ただ周りを見てると、上達の良しあしは運動経験とはあまり関係なかったように思うし、タイミングの差はあれみんな確実に上手くなっていくのがよく実感できたから、そういうところから勇気をもらえた。初めから完璧に漕げる人はいないし、クルーで励ましあいながら練習する雰囲気にはすごく救われた。それから自分にとって良かったのは、練習を重ねていくにつれてライバルができたこと。高校まではあまり人と競うことはなかったけれど、自分と近い記録の人と全力で勝負して、練習のたびに一喜一憂したり、時にはギスギスした雰囲気になったり、本気で取り組んでいるからこその緊張感みたいなものは、新鮮で楽しかったし、貴重な経験だったと思う。

(写真)大学2年での全日本大学選手権大会の様子

上條:自分も文化部出身で、大学入ってスポーツを始めようと思った人間なのですが、最後にお二人に大学入ってスポーツ始めようと思っている新入生に対して一言お願いします。

阪本:スポーツの世界に飛び込んで、本気で打ち込んでみると、自分でも想像できなかった経験や一生ものの友人が得られる。日本一を目指すということほどチャレンジングなものはないし、今後そういう経験をできる機会ってほとんど来ない。東大に入ったからこそ、勉強からは得られない貴重な体験をしてほしいし、バックグラウンド関係なく自分の努力次第で強くなる環境は整っているから、自分の新しい可能性を拓いてほしい。

李:スポーツを始めるにも程度の差があって、その中でもボート部はエクササイズ程度に体を動かすとかそういうレベルではなくて日本一という高い目標をのためにかなりの時間と体力を使って鍛錬していくような領域にあると思うんですけど、スポーツ始めるにしても見えてくる世界が全然違うし、違う価値観とかで動いてたりする。私自身今まで勉強しかほとんどやってきたことがなくて高校まで部活もほとんど真剣にやってこなかったので大学ではそれまでとは違う価値観に触れたという感じがしました。その意味ですごく有意義だったかなって思っています。

(写真)最後のインカレを控えた9月の練習の様子

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